早いもので、Jリーグも開幕し、今日はサンフレッチェにとってのオープニングゲーム、コンサドーレ戦がホームゲームで行われた。結果はスコアレスドローで、勝つに越したことはないけれどもまあ悪くはない。内容も昨年の微妙な中身ではなかったから、まあよいのではないか。決定機を取れなかったことは反省点だが、少々の課題も見えたほうがこの時期はよい。事実、申し分ない勝ち方をして降格することだってあるのだから。
今日はNHK広島で中継されていたのであるが、その中で強調されていたことは背番号の継承というべきものである。今季から川村拓夢が8番、満田誠が11番を付けているのだが、サンフレッチェにとっての8番は風間八宏、森﨑和幸が背負い、11番は佐藤寿人が背負った番号である。これに昨年から、森保一、森﨑浩司が背負ってきた7番を継承している野津田岳人を加えると、一つの物語ができあがる。
Jリーグだって創設三十年を超えるのだから、背番号にはそのチームの顔という役割を与えられていることになるのはいうまでもない。確かに当初は変動背番号制(必ず試合に出場する選手は1番から15番の背番号を付ける)だったが、それにしてもやはりある程度固定化はされるところだ。背番号がその選手のキャラクターを雄弁に物語るのであって、それはグラウンドの選手が付けている背番号がはっきり見えることで担保されるのである。
だからこそである。もはや八十年余りの歴史を誇るプロ野球にあっては、なおのこと背番号の物語性というものを尊重しなければいけないのであるし、それがぐらついているチームに強いチームはないといっていい。正直、それがないということは、人間に番号を付けて管理しているのと変わらないのであって、要は囚人管理と変わらない。
それから思うに、やはり今年のカープのユニフォームは、おかしいと思う。背番号はグラウンド上で選手を見つけるマーキングになるというだけではなく、カープがその選手に託した思いや歴史の象徴でもあるのだ。森下の18番には長谷川良平や福士明夫、佐々岡真司、前田健太の姿を、栗林良吏の20番には北別府学や永川勝浩の姿を、小園海斗の51番には前田智徳や鈴木誠也が育っていった姿を、映し出されているはずだ。
それだけに、それが見えにくい、あまつさえまともに見えないようなデザインは、やっぱりペケだろう。私には、これを正当化する理由は見いだせないし、否定する論拠なら両手に余る。
何度も言うが、普通なら与党総会屋がしゃしゃり出てきて大きな声で圧殺するのだが、今のところおとなしい。やはり、みんな心の中ではおかしいと思っているのではないか。でもそれを言うことは体制に異を唱えること、はっきり言えば球団当局に逆らうことになることをおそれて何も言えないのだろう。ばかばかしい。
はっきり言う、今からでも、このユニフォームは改めるべきだ。百歩譲ってホーム用はいい。背番号が見えなくはないから。アウェイ用だけ何とかしよう。背番号を金とかピンクとか緑にするだけでも違うと思う。以前も書いたが、ユニフォームのデザインに芸術性はいらないのだ。Avant-gardeなのは野球だけでお願いしたい。






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