2022年もあと2日、あすはレコ大、明後日は紅白歌合戦である。そして年末と言うことで歌番組や歌をフィーチャリングした番組も増えてきている。しかし、ここ数年のミュージックシーンへの違和感は大きい。ひとことでいうと、なんで表に出ているのか分からない歌が多すぎるのだ。
もちろん、音楽の楽しみ方が変わっているということは挙げられる。一番大きな革命的変化は、誰でも自由に配信できることだろう。これまでと違って、プロダクションがどうのとかレコード会社がどうのとかいう縛りがなくなったということである。そのことを否定するつもりはないし、むしろミュージックシーンを活性化させる要素である、はずなのである。しかし、残念ながら日本での現状は衰退のほうに向かっている。
一番の理由は、何度も書いたようだが、そういう楽曲のほとんどが一部ウケとしてでしか流通していないと言うことだろう。もっというなら、曲の力で人々の心を動かして売れているというよりは、誰か声のでかいインフルエンサーにつられて「バスに乗り遅れるな」という心理で聞かれているのだと思う。これは、既存の媒体を通じて売れている楽曲にもいえることだが。
もうひとつ言うなら、ひとことで言って歌詞が薄っぺらい。歌い手だけではなくて書き手の素人感も半端ないのだ。もはや人の心に刺さるような歌詞を期待しても無い物ねだりなのかもしれない。さらにいえば歌詞を乗せる曲もだめだ。まだ瑛人の「香水」は売れる理由が分かったのだが、最近「流行りました」といわれてる曲はもうどうしようもない。
ついでにいうなら、これに比例して既存の媒体から流れてくる曲の質の低下も著しい。それに加えて、歌手の質の低下。それに輪をかけたのが、音楽番組に口パクでの出演を許す腰抜けテレビ局である。昔はどんなに歌が下手でも音楽番組では絶対に生歌で出ていたものだが、今の歌手はよほどビッグなのかどうかは知らないが、平気で口パクを使うのである。分からないと思ってるのかね。そんなの簡単に分かるのに。
もちろん、現状の音楽の楽しみ方にGENERATION CONFLICTが起こっているという事実も認めなければならない。我々の世代の音楽受容というのは、もはや時代遅れかもしれないのだ。さらにいえば、誰だって最初から「国民的歌手」になれるわけもない。それこそ桑田佳祐も松任谷由実も、最初は一部の世代のヒーロ-・ヒロインに過ぎなかった。ただ、息長く活躍したから最初の世代が年を取って幅広い世代に支持されているだけである。
むしろこれからは、玉石混淆の中から「玉」を選び出す能力というのが一種のMedia literacyとして求められる時代なのかもしれぬ。それにしても、今の日本の曲は見事に石ばかりである。これはやはりここ数年顕著になった特定人によるメディア支配が原因というべきだろう。その中で粗製濫造された「歌」が、世の中に出回りたい歌のハードルを下げたというのが正当だと思う。あんな素人でも勝てそうな歌を聴かせられたら、自分だってちょいちょいと書けば勝てそうな気がしちゃうよね。
まあ、そんな文句を言いつつ、きっと私はレコ大も紅白も見ることだろう。ただ、私個人としては、だからこそ昭和歌謡に傾倒していく自分がいるのである。最近の歌手で聞いているのは、ももクロを別としたら、まあ、あいみょんかな。






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