どう考えても指揮官向きではなかった佐々岡真司を監督に据えるという不毛な選択から4年。その間カープは無駄な3年間を過ごしてしまい、チームにとって大きな痛手を負うこととなった。いや、痛手と思っているのは心あるファンだけで、球団当局者はなんとも思っていないかもしれない。むしろ彼らにとってはコロナ禍での減収のほうが差し迫った問題であって、チームの勝ち負けなんてどうでもいいと考えているとおぼしい。
しかし、佐々岡体制での崩壊があまりにも酷かったし、三連覇を体験したライトなファンが離れかねないという状況に際して、球団も意に反して佐々岡を三年で切らざるを得なくなったのだろう。と、いうわけで、カープも新井=黒田体制で目先を変えてライトなファン層をつなぎ止めようとした、というのが一連の流れであると思う。
などというと、来るべき新井政権に期待をかけていないようだが、正直懐疑的になっている自分がいる。ひとことでいうと、なんともいえない「ぬるさ」を感じるのだ。意味もない厳しさを打ち出せばよいとは思わないが(それをやって失敗したのが達川政権である)、なんとなく「新井さん」らしき「優しさ」ばかりが前面に出すぎているのではないかと思えてならない。要するに、「ぬるい」と思えてしまうのである。
もちろん、現状で新井が打ち出しているのは「前政権へのアンチテーゼ」であると取るのが正当である。特に今シーズン見せられた姿は、明らかに佐々岡の(というよりは球団当局の?)依怙贔屓に基づく選手起用である。それを外から見ていた新井があえて「家族」性を打ち出したことは、想像に難くない。しかし、それ以上のものが見えないのだ。カープはプロである。少年野球のクラブではない。「家族」性の強調だけで済ませてよいとは思えない。
過去に結果を残した指揮官は、だいたいドライな人が多い。古葉さんだって情が移るからといって選手の結婚式の媒酌人もしなかったほどである(例外は1984年というのがひとつ示唆的である)。その意味では、新井はウェットすぎる気がする。もちろん指揮官として、というより指導者としての姿を見ていないから分からないが、そういう意味では適性という点においては些か不安があるのだ。
もちろん、こんなことを部外者たる私が言わずとも、当の選手はもっともシヴィアに見ているだろう。本当についていっていいのかというところを見定めているところだと思う。その意味では、新井の言う「家族」性の強調はある意味諸刃の剣となり得る。菊池など新井の子分とでも言うべき主力選手がかわいがられているだけでは、実は佐々岡体制とまったく変わらないということになってしまう。
もちろん新井は、タイガースで天国も地獄も味わっている点が違うといえば違う。その意味では評論家時代の立ち回り方は非常にクレバーだったように感じるから、きっと「自分の子分たちだけの家族」にはならないと信じたい。というより、それを信じないと、もはやファンをやっていけないよね。






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