今日の試合を取り上げる前に、今日の中国新聞デジタルに載っていた現運動部長の小西晶くんのコラムを紹介したい。彼は現状の投高打低ぶりを投手の進化に求め、次のように述べる。以下引用。
『投手の進化に野手が追い付けていない以上、「投高打低」は今後も進む可能性が高い。大砲を持たないのであれば、一つの四球、1本の安打を大事に戦うほかなさそうだ。今のように盾さえ強固に保っていれば、風が変わるときは必ずくる』(原文ママ)
ご記憶の方も多いと思うが、彼は中国新聞スポーツ欄のコラム「球炎」では、トンチンカンな理屈と徹底的に体制擁護の駄文を書いていた。この記事も、小西くんらしい迷文である。まず、いかに投高打低が続きそうとはいえ(私はその前提にも疑義を持っているが)、「大砲を持たないのであれば」以下の件は論理の飛躍である。ここで首を傾げられなかった向きは、脳みそが終わっていると言ってよい。
その点は措くとしても、最後の一文、徹底的に守っていればいつか打開できると言いたいようだが、そんなのはカルトの考え方である。なんか点はいつか転がり込んでくるんだという棚ぼた的発想ではないか。だから4試合続けて完封負けするのである。いや、バカープファンが信奉する「投手を中心に守り勝つ野球」なるもののベースがこれなのだろう。辛抱すれば点は入るというのは、いつぞやのどこかの国の「欲シガリマセン勝ツマデハ」と変わらない。
きっとこの記事の裏には、当局の思惑があるというべきだろう。あの4試合連続完封負けは、心あるファンを動かすには十分だった。今回のコラムは、それを恐れたハジメが流したプロパガンダだというべきだろう。「今こそ守り勝つ野球なんだ」とでも言いたいのだろうが、噴飯ものである。なんであんな興行に耐えられないつまらない野球をやらねばならないのか。
前置きが些か長くなったが、今日の野球も本当に内容はダメダメだ。西勇輝に8回まで、120球もスイスイと投げさせたという時点でオフェンスには大喝だ。あの6回100球超えたらただの人という程度のピッチャーを取り逃がしたということは、いかに楽に手を抜いて投げられていたかという証左である。まあ、あれだけ恥ずかしい思いをしながらなおディフェンシヴなオーダーを組むというキツネザルの乏しい脳みそには、もう涙も出ない。
一方の大瀬良。確かに悪くなかったかもしれないが、7回無失点に値する内容だっただろうか。なんかタイガースのオフェンスもまた死んでるからというのが正当だろう。それでも肝心なところでやらかすのが大瀬良クオリティというなら、まあまあ良かったねと言ってもいいかなというべき内容だったろう。
それでも、ただ一つの明るい光は、小園と田村で相手セットアッパーのハヴィエル・グゥエラ(正確な発音は多分こうかな)を攻略したことだろう。特に田村のひと振りは本当に良かった。これこそまさに時代は田村だという証左なんだろう。いや、その前には久保の好プレイも出た。明らかに、次世代に向かって風が吹いているんだろう。この流れを堰き止めてはいけない。そして、この流れでさらに二の矢を継がなければならない。
問題は、新井くんが乏しい脳みそでそれを理解できているかということだ。その意味では、明日のスターター、いや明日の公示に要注目だ。ここで何も動きがなく、また狂気的なディフェンシヴオーダーを取るようだったら、明日はない。まあ、マダガスカルのキツネザルには難しい注文かな。
人気ブログランキング広島東洋カープランキングサンフレッチェ広島ランキングにほんブログ村にほんブログ村
コメントを残す