紅萌ゆる丘の花 早緑匂う岸の色

私の記憶が正しければ、34年前の今日、1988年12月11日は第3回全統一次模試だったと思う。三大予備校の共通一次模試の最後(実際には年末に大阪北予備校主催の共通一次ファイナルがあった)で、いよいよ決戦だという気持ちが高まった、ような気がする。なんせ昨日も書いたとおり、この時期の記憶は極めて曖昧で途切れ途切れだから、はっきりとしたことがいえないのである。

ところで、私の受験時代は、試験制度自体もカオスだった。1986年度にA日程、B日程が導入により複数大学受験が可能になったのだが、1988年度にはこれに前期日程、後期日程が併用されたのである。もはや今から見ても訳が分からない。しかも京都大学は前後期日程制を導入した一方で、法学部だけ単独でB日程にとどまったから、カオスに輪をかけたのである。そのときの話を書けばそれこそ恨み言でひと記事書けそうだが、非生産的だから書かない。

広島大学受験を決めたのは、共通一次試験直後である。さすがに二度目の受験だから今度は失敗できないということで、当初併願していた大学から志望を大幅に下げたのである。しかし、私にとっては滑り止め以下の扱いだった。本当に、万が一のことを考えただけだったのである。だから、広大受験の時の広島行きは、私にとっては楽しい小旅行だったのである。それだけで終わるはずだった。

それが、来春で通算28年在住してしまうことになる。まあ、今となってはそれが悪いこととは思っていないし、きっと神のお導きだったんだろうと思うことにしている。思えばどれだけ真剣に京都大学法学部に行きたいかということを考えていたかといわれたら、即答できない自分がいる。だから、これでよかったのだろう。かつても書いたことがあるが、確かに京都大学法学部は、信じられないほど頭の切れるのがいる一方で、メンタルをやられて完全に壊れてしまったのがいたのである。自分がそうならなかったという保証は、ない。

でも、最初は辛かった。不合格通知をもらってから新快速で赤穂に戻るまで涙をこらえるのに必死だったし、その後広島に引っ越すまでの記憶はほとんどない。本当に、カープがあったのと、「晴れ時々たかじん」がなぜか広島ホームテレビでネットされていたおかげである。ここでメンタルが切れてしまっていたら、きっと今の私はないと思う。そういう意味では、私はカープには大感謝している。

だからこそ、求めるべき水準が高くなるのだ。今のカープを巡るサークルは、はっきりいって腐っている。みんなそこにカープがあればいい、あるいは今そこにあるカープを愛せと思っていないか。それでは駄目なんだけどね。でも分からないんだろうな、あーあ。

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