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1995.1.17

の、前日である1月16日・振替休日。当時住んでいたアパートの前を通る全国女子駅伝をよそに、朝から大阪に出ていた。理由は分からないし、何をしに行ったのかも覚えていない。だいいち当時の私のアルバイト先は大阪市内も市内、梅田スカイビル内だったのだから、大阪なんていくらでも行く機会があった。4月から広島住まいが決まっていたし、どうせ行くなら普段は行かないところに行きゃあよかったものをと思うのだが、それは後知恵である。

本当にどこで何をしていたかの記憶はないのだが、きっと梅田周辺か難波周辺を駆けずり回っていたのだろう。で、昼過ぎに阪急梅田駅あたりに戻ったときに、どうせなら神戸にも行っとこうかなと、ふと頭をよぎった。時間なんていくらでもあったのだから、気の向くままに行けばよかったはずなのだが、なぜかその日はそうしなかった。思うに、また関西を離れる前にゆっくりと行こうと思ったのかもしれないが、まあいつでも行けるんだからという思いがあったに違いあるまい。

しかし、この一瞬を逃したが故に、「そのときの神戸」には、もう永遠に行けなくなってしまった。

1月17日火曜日。だいたいこの時期は寝起きがよくなく、目覚ましにすら反応しないくらいだったのだが、午前5時46分ころ、ふと目が覚めた。なんやまだこんな時間かと思った次の瞬間、この世のものとは思えないような強烈な揺れに襲われた。慌てて飛び起き、ることすらできず、ただ布団の中でなすすべもなく揺られているのみだった。幸いにというかなんというか、ものが落ちてくることもなく(といっても本棚の本があるくらいだけどね)、本当に激しく揺られただけで済んだ。

とにかくラジオをつけると、ABCの早朝番組「おはようパートナー」のパーソナリティーだった毛利千代子さんの悲痛な声。これだけが今でも耳に残っている。その後テレビもつけたのだが、情報が混乱して何が何やら分からない。そもそも映像がないのだ。そのことがいかに恐ろしいことであったかを思い知ったのは、その数時間後である。

そこから後は、本当に記憶が断片的というか、そもそも飛んでいる。覚えているのは前述の毛利さんの悲痛な声と、明るくなった後おそろおそる外に出て京都は何もないことを確認してほっとしたことくらいである。あとは数週間関西のテレビは震災モードで、通常運転になるには1か月程度を要したことだろうか。

私が1995年1月17日について語れることは、この程度である。なんせ揺られただけであって、怪我もしていなければ不便もなかった。しかし、だからこそ強調したいことは、平時のありがたさである。平凡な日常こそもっともありがたいものなのである。これが奪われたとき、残るのは悲しみだけである、とのみ書いておこう。積極的にそれを奪おうとする者こそ、もっとも警戒しなければならない者ではないか。

いうまでもなく、大きな被害が出た阪神地区と違って、京都は揺られただけで済んだ。お寺さんの仏像が損傷したというのがニュースになったくらいである。アパート近くの銭湯でこれを見たときに、あるお客さんが「仏さんが指詰めてくれはったから京都は助かったんや」といったことをなぜかよく覚えている。

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紅萌ゆる丘の花 早緑匂う岸の色

私の記憶が正しければ、34年前の今日、1988年12月11日は第3回全統一次模試だったと思う。三大予備校の共通一次模試の最後(実際には年末に大阪北予備校主催の共通一次ファイナルがあった)で、いよいよ決戦だという気持ちが高まった、ような気がする。なんせ昨日も書いたとおり、この時期の記憶は極めて曖昧で途切れ途切れだから、はっきりとしたことがいえないのである。

ところで、私の受験時代は、試験制度自体もカオスだった。1986年度にA日程、B日程が導入により複数大学受験が可能になったのだが、1988年度にはこれに前期日程、後期日程が併用されたのである。もはや今から見ても訳が分からない。しかも京都大学は前後期日程制を導入した一方で、法学部だけ単独でB日程にとどまったから、カオスに輪をかけたのである。そのときの話を書けばそれこそ恨み言でひと記事書けそうだが、非生産的だから書かない。

広島大学受験を決めたのは、共通一次試験直後である。さすがに二度目の受験だから今度は失敗できないということで、当初併願していた大学から志望を大幅に下げたのである。しかし、私にとっては滑り止め以下の扱いだった。本当に、万が一のことを考えただけだったのである。だから、広大受験の時の広島行きは、私にとっては楽しい小旅行だったのである。それだけで終わるはずだった。

それが、来春で通算28年在住してしまうことになる。まあ、今となってはそれが悪いこととは思っていないし、きっと神のお導きだったんだろうと思うことにしている。思えばどれだけ真剣に京都大学法学部に行きたいかということを考えていたかといわれたら、即答できない自分がいる。だから、これでよかったのだろう。かつても書いたことがあるが、確かに京都大学法学部は、信じられないほど頭の切れるのがいる一方で、メンタルをやられて完全に壊れてしまったのがいたのである。自分がそうならなかったという保証は、ない。

でも、最初は辛かった。不合格通知をもらってから新快速で赤穂に戻るまで涙をこらえるのに必死だったし、その後広島に引っ越すまでの記憶はほとんどない。本当に、カープがあったのと、「晴れ時々たかじん」がなぜか広島ホームテレビでネットされていたおかげである。ここでメンタルが切れてしまっていたら、きっと今の私はないと思う。そういう意味では、私はカープには大感謝している。

だからこそ、求めるべき水準が高くなるのだ。今のカープを巡るサークルは、はっきりいって腐っている。みんなそこにカープがあればいい、あるいは今そこにあるカープを愛せと思っていないか。それでは駄目なんだけどね。でも分からないんだろうな、あーあ。

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つれづれ よしなしごと 京都

時はめぐり また冬が来て

我々はもういくつ寝るとお正月としゃれ込めるのであるが、もちろん受験生にとってはそんな悠長なこと言っていられないのである。いうまでもなく年が明けたら過ぎにあの日と同じマークシート、共通テストが行われる。国公立大学受験生にとってはまさに運命の分かれ道となる大事な試験だ。我が娘もなにやら強制受験とかで受けざるを得ないようだが、もちろんすでに合格通知をもらった身であるのでガリガリ勉強しているそぶりはない。私ももう分からなかったら鉛筆転がしてマークシート塗りつぶせといってあるくらいだ。

それにしても、共通テストという代物、本当に不出来な問題ばかりだと思う。問題の中身ではない。共通テストで何を見たいのか、何を測りたいのかまったく分からない問題が多すぎるのではないか。正直、共通一次末期からの迷走がまだ続いているような感じがする。これで英語の「四技能」なんて、何の冗談かと思いたいくらいだ。

私は、1988年1989年と、共通一次試験最後の2年の試験を受けている。それでうまくいかなかったから文句いうわけではないが、どうもこの2年の問題はカオスだったよう気がする。それまではある程度基礎的なところを見ようとしていたのが、何か新しい機軸を打ち出そうとして妙ちきりんになったという気がしてならないのだ。これが政治主導の「改革」のなせる技だったのかどうかは分からないが、その後の迷走のOvertureだったといわざるを得ない。況んや、今の共通テストをや。こんな試験で振り分けられる受験生が哀れでならない。

実は私も、仕事で嫌になるたびにもう一度大学で勉強したいと思うときがある。ほかの大学の法学部か、いっそ他分野に行ってみたいと考えたりもする。しかし、国立大学に行こうとすれば、学士入学の枠がなければ共通テストから受け直さなければいけない。しかし、それは絶対に嫌だ。あんな不出来な試験で振り分けられるのはたまったもんじゃないと思う。いや、そうじゃなくても、あの暗黒の時代の思い出が甦らせられるような気がして、いいもんじゃない。

でも、今だったらもっと真摯に勉強できる気もするんだよね。それに気がつくまでに三十年以上もかかっていたら世話ないし、きっとその場に立ったら「命がけの必死さ」を出せるかどうかは分からないのだが、これが大学受験でうまくいかなかった失敗体験のなせる技なんだろう。だからこそ、我が娘には第一志望の大学に行ってほしかったのである。それほど、後々尾を引くのだ。

私は4年間も東千田にあったキャンパスを歩いたのだが、なぜかほとんどめぼしい記憶がない。逆に院試をパスして改めて時計台を眺め見たときは、亡くなるまで誰よりも合格を願ってくれていた母方の祖母のことを思い出して涙が出そうになった。あるいは予備校時代に受けた入試最終日に会ったクラス担任の顔を思い出して、時の流れを感じたものである。あれから三十余年、もう一度時計台の下で勝負したいと思うのは我が業なのか。

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あまからAvenue つれづれ よしなしごと 京都

離れるほどに燃え上がる恋心。

今三越広島店では、催事として「京都展」が開かれている。そこで、15日16日の限定企画として出町ふたばの豆餅(豆大福)が午後3時からの160パック限定で出されていた。何を差し置いても行って手に入れたかったのだが、きっと午後3時に行ったのではまず売り切れ確実である。出町の店で並ぶのなら少々待っても手に入るが、ここでは並んでも手に入るかどうかはわからないとなると、なんとなくばかばかしくなって、やめた。でも、自分でやめといてなんなのだが、なんか寂しい。

そういえば、最後に食してからはもう20年以上経つ。まさしく「餅」なので、すぐに食べる分だけ買わないと堅くなってしまうのだが、それでも食べたいと思って欲張って買ってしまった記憶がある。今年の夏も京都行きの予定があり、出町詣でをするつもりだったのだが、また例によってコロナ禍のせいでキャンセルになってしまった。どうもうまくいかない。

もちろん、京都で喰らいたきものはまだたくさんあって、それを全部味わおうと思ったら1週間は滞在しないと行けないし、そんな時間も予算もない。去年の三越の京都展では新福菜館がイートインを開いていて、これまた二十数年ぶりに中華そばを食したのであるが、非常に感動した覚えがある。よほど離れていた時間というのが感動を新たにさせるのだろう。

もっとも、中には食べたくてももう過去帳入りしてしまったものもあって、そうなると離れている時間は永遠となる。グリル・アローンの特大オムライス、ほんやら洞のシチューと「シゲのパン」、食べたくてももう食べられない。学生時代にグリル・アローンでオムライスを食し、その後でデザートとしてイノダコーヒで特大シュークリームを食べたのはよい思い出だ。

まあ、来春になると娘の受験が一段落する(はずだ)。そうなったら、家人をたきつけて京都詣でをするかな。そうおもいつつ、宮崎にも行きたいと思っているから困るのだが。

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