最後の代打大盛というチョイスを見て、やっぱりこの人では勝てないと痛感した。この人は結局「情」しか取り柄のないB級指揮官だ。勝てる指揮官ではないし、今のカープには必要な人材ではない。
あの場面、相手はライデルとはいえホームランが出れば同点である。となると、スタンドに放り込める力のあるバッターでなくてはいけなかった。ならば末包、堂林、あるいはデーヴィッドソンでもよかったが、それしか選択肢はなかったはずであるし、その一択だった。
しかし大盛を出したのは、左打者ということよりも、昨日の試合で最後打席に入れず悔しい思いをしたという陳腐極まりない物語性しか理由は考えられない。バカープファンは喜ぶかもしれないが、まともなファンは開いた口が塞がらないというもの。それに、大盛に投げていたライデルの表情は、もう舐めきっていた。薄ら笑いで投げていたのがはっきりと見えた。まあ仕方あるまい。
結局、新井という人はやっぱり内外に敵を作りたくないんだろう。周りにいい顔をしたいだけなんじゃないかという気がしてならない。ある意味ただの八方美人なんだろう。だからつまらない「情」とかですぐ動いてしまう。いや、情に棹さしたっていいのだが、役者不足の選手に入れあげるのは違うだろうと思う。繰り返すようだが、昨日の「5番上本」だってそうではないか。バカープファンを宥めるための策としか思えない。
そう思うと、実に虚しい。我々はいったい何を信じればよいのだろうかとさえ思う。佐々岡という稀代の凡将の後だけに、僅かな期待を持ってしまった自分が莫迦だったのだろう。要するに前任者の後だけに何をしても好ましく見えてしまった。結局は「初期不良」と思えたのはただの実力不足ということか。
だからこそ、バカープファンは喜び、増長するのだろう。新井は彼らに日和り、実力のない選手を必要以上に持ち上げる。その無限回廊に入っているのだろう。そして彼らにとって不都合な事実は黙殺され、都合のいい物語だけが強調される。「守り勝つ野球」なんかそうだし、「機動力野球」も彼らのせいでずいぶん矮小化された。まったく腹立たしい。
今日の試合?まあどうでもいい。結局書くべきことはここまで書いたことに尽きる。昨日今日の試合で足を引っ張ったのは西川だが、今日のプレスもそうだし明日もきっと西川のにの字も出ないだろう。彼は当局者のお気に入りにして忠実なるペットだからね。
明日については語るべきことはない。99パーセント負ける。悪いが、森に何ができる。いや、予想外の快投をしたところで、オフェンスが点を取れるもんか。18イニングス1得点。恥だよ、恥。恥を知れ。






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