時はめぐり また冬が来て

つれづれ

我々はもういくつ寝るとお正月としゃれ込めるのであるが、もちろん受験生にとってはそんな悠長なこと言っていられないのである。いうまでもなく年が明けたら過ぎにあの日と同じマークシート、共通テストが行われる。国公立大学受験生にとってはまさに運命の分かれ道となる大事な試験だ。我が娘もなにやら強制受験とかで受けざるを得ないようだが、もちろんすでに合格通知をもらった身であるのでガリガリ勉強しているそぶりはない。私ももう分からなかったら鉛筆転がしてマークシート塗りつぶせといってあるくらいだ。

それにしても、共通テストという代物、本当に不出来な問題ばかりだと思う。問題の中身ではない。共通テストで何を見たいのか、何を測りたいのかまったく分からない問題が多すぎるのではないか。正直、共通一次末期からの迷走がまだ続いているような感じがする。これで英語の「四技能」なんて、何の冗談かと思いたいくらいだ。

私は、1988年1989年と、共通一次試験最後の2年の試験を受けている。それでうまくいかなかったから文句いうわけではないが、どうもこの2年の問題はカオスだったよう気がする。それまではある程度基礎的なところを見ようとしていたのが、何か新しい機軸を打ち出そうとして妙ちきりんになったという気がしてならないのだ。これが政治主導の「改革」のなせる技だったのかどうかは分からないが、その後の迷走のOvertureだったといわざるを得ない。況んや、今の共通テストをや。こんな試験で振り分けられる受験生が哀れでならない。

実は私も、仕事で嫌になるたびにもう一度大学で勉強したいと思うときがある。ほかの大学の法学部か、いっそ他分野に行ってみたいと考えたりもする。しかし、国立大学に行こうとすれば、学士入学の枠がなければ共通テストから受け直さなければいけない。しかし、それは絶対に嫌だ。あんな不出来な試験で振り分けられるのはたまったもんじゃないと思う。いや、そうじゃなくても、あの暗黒の時代の思い出が甦らせられるような気がして、いいもんじゃない。

でも、今だったらもっと真摯に勉強できる気もするんだよね。それに気がつくまでに三十年以上もかかっていたら世話ないし、きっとその場に立ったら「命がけの必死さ」を出せるかどうかは分からないのだが、これが大学受験でうまくいかなかった失敗体験のなせる技なんだろう。だからこそ、我が娘には第一志望の大学に行ってほしかったのである。それほど、後々尾を引くのだ。

私は4年間も東千田にあったキャンパスを歩いたのだが、なぜかほとんどめぼしい記憶がない。逆に院試をパスして改めて時計台を眺め見たときは、亡くなるまで誰よりも合格を願ってくれていた母方の祖母のことを思い出して涙が出そうになった。あるいは予備校時代に受けた入試最終日に会ったクラス担任の顔を思い出して、時の流れを感じたものである。あれから三十余年、もう一度時計台の下で勝負したいと思うのは我が業なのか。

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