朝夕もめっきり冷え始めただけでなく、昼間に通る風もすっかり晩秋のそれになりつつある。出雲に参集した神様も霜月になって持ち場に戻られる時期ではあるが、要するに年も押し詰まりつつあるというところだろう。
もちろん球界では日本シリーズをやっていて、いちおう贔屓にしているバファローズが出ている都合上見ているのだが、どうも気持ちが入らないし、正直言ってまともな見世物ともいいかねる。その責任は主にバファローズの側にあるように思われるが、それについて書くのは今はやめておく。シリーズ終了後まとめて書くことにしたい。敢えてひとことだけいえば、今のバファローズの野球は古くさいうえに面白くない。
なんでも、カープの次期監督にかのチームのヘッドコーチが擬せられていた時期もあったし、打撃コーチもカープOBであるのだが、今年までのカープにはびこっていた古くさい野球を劣化型再生産しているような気がしてならない。もちろんこの二人が悪いのではなくて、あくまで現状を踏まえたリアリズムのたまものなんだろうが、こんな編成で野球やってはいけませんというところを存分に見せているだけだ。その意味では、やっぱり今のバファローズは大阪近鉄バファローズの後継球団ではないんだろうな。
その意味では、やはりカープはこれを他山の石にしなければならない。少なくとも今のカープに必要なものは「佐々岡的なるもの」の完全否定である。バファローズがこのあとシリーズでどうやって巻き返すかは知らないが、仮に巻き返したとしても、今のバファローズのやっている野球など断じて真似しないことである。頭の弱い自称カープファンはあれこそ我々の進む道と勘違いするかもしれないが、今それやったらアライさんの首絞めるだけだよ。
昔話を持ち出すようで恐縮だが、古葉さんの時代の野球は本当にモダンだった。他球団の常に先を行っていたといっていい。ところが、あの忌まわしき松田家の介入のせいで古葉さんが放逐され、半ば広島所払いのようになって以来、カープは明らかに「逆コース」を進んでいる。ひとことで言うと、だんだん野球が古くさくなっているのだ。もはや否定的評価しかできない忌まわしき佐々岡政権など、その負の集大成といっていいだろう。
その意味では、新井さんがヘッド格に藤井彰人を選んだのは、カープに新しい風を吹かせようとしているものと理解したい。何度も言うようだが、新しい酒は新しい革袋に盛らなければいけないのだ。もはやカープはある意味ロストジェネレイションの末期にいるのであって、生え抜きがどうたらいうのはむしろネガティヴな意味しか持たないのである。それが理解できない向きは、ただのカルト信者だよね。いや、旧統一教会を笑えないよ。我々カープファンは。






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