われてもすゑにあはむとそおもふ

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今日テレビではM-1グランプリをやっているようだが、これを見なくなってからだいぶ長い年月が経つ。正直、中川家やますだおかだがグランプリになった頃は一定の説得力があったのだが、今はもう誰がなってもええやんという気がしてならないし、はっきり言って、面白くない。だから食指が動かないし、後追いすらする気がないのである。

いや、さらにはっきり言い切ってしまうと、今の笑いはそもそも「藝」ではない。一部ウケにすぎない。もっというなら、これは笑わねばならぬという権威付けが求められないと笑えないという哀れなオーディエンスによって選別されているんだろう。だから笑わせる側も理屈抜きに笑わせるということができないし、何かその権威付けによっかかったネタしかできていないというべきだ。その典型がダウンタウンとその取り巻きだろう。ダウンタウンも出だしの頃は前衛的な漫才をやっていて理屈抜きに面白かったのだが、今はまったく駄目だ。

この傾向は、笑いだけではなくエンタメ全般にいえるだろう。特に歌の世界のへの浸食ぶりは著しい。やれダウンロード何億回といったって、所詮はみんな一部ウケだ。歌の良さで売れているというよりは、何か権威のあるインフルエンサーが言っているから聞いているという受動的というよりは奴隷的従属といっていい聞き方が根本にあるのではないか。だから、どんなに売れてますといっても心に響かないのである。

さらに拍車をかけるのが、それを統制している側の権力へのすり寄りぶりである。典型は吉本興業だろう。ほとんどのタレント(今の彼らは二、三の例外を除いて「芸人」とは呼びたくない)は完全に権力者の走狗と成り下がってしまった。いわば権力の広報係である。彼らは自ら首を絞めていることを理解しているのだろうか。これで面白ければ救われるのだが、まあ総じて面白くない。

今日は日曜日。日曜の笑いといえば長く「笑点」がその王者なのだが、やはり出演者の新陳代謝をしなかったことが致命傷になりつつある。今の「笑点」しか知らない人には想像もつかないかもしれないが、私が子どもの頃に見ていた笑点メンバーは、みんな若くてとんがっていたし、キャラ立ちもはっきりとしていた。特に三波伸介が司会で歌丸、木久蔵(木久扇)、圓窓→夢之助→九蔵(好楽)、圓楽(五代目)→楽太郎(六代目圓楽)、こん平、小圓遊、座布団配り松崎真の時代は本当に面白かった。今は面白くなくなったというよりは、みんな老いてしまったのだ。

まあ、そういうとんがった個性というものは、もはや受けないのだろう。みんな仲良くぼちぼちとという時代になってしまった。況んや、ヒロシマ球界を巡るサークルをや。声だけでかい能なし自称インフルエンサーが跋扈している。そういう連中の書くものって、つまらない。まあそもそも今の在広プレス自体が権力者の広報だけどね。自称カープファンの皆様も権力者との距離の近さを競って一生懸命ヒエラルキィ作ってるけど、アホかとしかいえない。

まあ、そんなことは先刻承知だし、弊ブログを書き始めた16年前から状況は変わっていない。たとドン・キホーテといわれても構いはしない。もっとも、私がドン・キホーテなら、相手はさしずめバーヴァリアンだろうけどね。

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