午後11時のモノローグ その139

昨夜、キダ・タロー翁の訃報が駆け巡ったところである。「フレッシュ9時半!キダ・タローです」をABCラジオで聞いていたのは幼稚園の頃からだったから、93歳という年齢もさもありなんというところなのだが、なんかいつまでも生きていそうな気がしていた。ちなみにキダ・タロー翁を放送の世界に引っ張り出したのは中村鋭一翁だが、もちろん彼も鬼籍に入っている。そりゃ自分も年取るはずだ。

もちろんキダ・タロー翁の本分は作曲家であり、音楽家である。その仕事の一部はデジタル化されているところで、私も持っている。一部と言ったのは、少なく見積もって数千曲のディスコグラフィを誇るからなのだが、そもそもキダ氏は残すことに無断着だったようで、その仕事の相当数は散逸しているらしい。ただ、その大半はCMソングとかテレビ音楽のようだから、譜面も音源も残りづらいところはあるのだろう。

キダ氏の音楽の特徴は、キャッチーなフレーズと、暴力的なまでに耳に残るメロディである。口にするかどうかは別として、キダ氏の影響を受けていると思しきミュージシャンは多い(例えばつんく♂なんてキダ氏の影響が感じられる。)。蓋し、キダ氏の音楽づくりこそ正道なんだろうなという気がする。

日本の半可通が陥りやすい誤りに、音楽というのは常に新奇性がなければならない、いやなるはずだというものかある。だから少しでも類似点があるとすぐパクリだなんだとか言う頭が弱いのがいるのだが、これは本来おかしい。確かに、新規性を追求するのは簡単だ。しかし、それが耳に心地よいかと言われたら話は別だ。不協和音の連続やはてはトーン・クラスターまで行き着けば、多くの人は耳を閉ざすだろう。

キダ氏の音楽が耳に残るのは、それは耳に心地良いからだろう。全部を分析した訳ではないが、氏の音楽をある程度洗ったら類似のメロディは出てくるだろう。しかし、それは決して誤りではなく、むしろ正当なアプロウチというべきだ。音楽の命は新奇性ではなく、耳に残るかどうかなのだから。

氏のテクニックの凄さについては、私は専門家ではないから分析しきれないが、一例を挙げるならば、やはり代表作のひとつ「アホの坂田」だろうか。前奏とサビの部分は「メキシカン・ハット・ダンス」の翻案であることは有名だろうが、メキシカン・ハット・ダンスのメロディを聴いて「アホ、アホ、アホの坂田」の連打を思いついたという点がそもそもすごいのである。

さらに、前田五郎のソロ歌唱パートが凄い。譜面で書くと「ドドドドレミソ ラドドラミラソ ラドドドドラド レドラソミ ドレミソソミソ ラドドドド」だが、これ見事に四七抜き長音階である。しかも、歌詞は見事に七五調である。即ち、日本古来の音楽の作法を用いてこんなファンキーな曲を作ったのである。もし仮にこの曲が曲先だったとしたら、本当に凄い。

「アホの坂田」ひとつで音楽論ができそうだが、それは私の本分ではないからこの程度でやめておく。まあ、酢豆腐的半可通には理解してもらえないだろうが、音楽というのはいかに聴く者を楽しませるかである。古今東西のどの曲に似ていようがいるまいが、どうでもいいことなのだ。

でもいるよね、どんな世界にでも。カープファン界隈だって然り。だから「投手を中心に守り勝つ野球」などという言葉が氾濫するんだろうな。あれはハジメにとってはなんとか打力で黄金時代を築いた古葉竹識監督へのアンチテーゼを作りたいということなんだろうが、バカープファンがそれに倫理的優位性を見出し、そう語ることがグレードの高いファンであるという勘違いを起こしているんだろうかね。本人たちはノヴェルティだと思っているのだろうが、実に陳腐ないいぐさでしかないんだけどね。

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