めでたくもありめでたくもなし

門松は冥土の旅の一里塚、として標題に繋げたのは一休宗純禅師であるが、数えで年を数えなくなった現在においては誕生日が門松の代わりになるだろうか。本日は不肖この私の誕生日であって、知命からさらに4年経過することとなった。

子どもの頃であれば誕生日は楽しいイヴェントであるが、二十歳すぎたらただのハロン棒みたいなもので、まして今の歳になればそれこそめでたいかどうかすらもわからない。むしろ人生のゴールがいつになるかを考えたりもするのであるところだ。もっとも、これまでの私の人生はさしずめ中山大障害のようなもので、しかもバンケットや大竹柵に何回も躓いている趣があるから、まだまだゴールは先だと勝手に考えているが。

カープファンとしての私に重ね合わせたら、4度目の優勝、3度目の日本一が15歳のとき。それ以来日本一がないというのは当時は思いもしなかった。5度目の優勝から6度目の優勝まで3年空いて、いささか長かったなと思ったくらいである。その後、25年の空白ができようなんて想像を超えていた。1989年から心ならずも広島に住み始め、1995年から現在に至るまで3年と11か月を除いて広島に居を定めた私にとって、その空白は実に重いものなのである。

その空白の間、見事にその治世が被るのが、まさしく松田元なのである。奴はカープにとっては害悪以上でも以下でもない。だから私は、彼を強く憎むのである。そのレゾンデートルを一切認めたくないのである。彼の作ったビジネスモデルを強く否定するのである。

それについては、もう過去何度も書いたところであるから繰り返さない。1992年から2015年の間、優勝に絡むことすら少なく、十数年間Bクラスに低迷させたこと、そしてそれは彼のイニシアティブによるものであったことを、許す訳にはいかない。

三連覇という仮の栄光、なぜならポストシーズでことごとく敗退したからであるが、それにピリオドを打ったのも彼のイニシアティブだし、その後4年間箸にも棒にもかからぬ成績に落ち込んだのも彼の責任である。佐々岡が予想以上の盆暗であることが判明するや否や新井貴浩という改革者の顔をした守旧派に首をすげ替えるところなど、狡猾の極みだ。

だから、いかに善意のカープファンといえども、彼をもって「人情派の名オーナー」などと持ち上げるのは、莫迦じゃないかと思うのである。心あるファンにとっては打倒しなければならない敵である。否、彼ひとりでどうこうなるものではない。彼のあとにはもっと筋の悪い独裁者が体制内から現れるのは、スターリン死後の旧ソ連圏を見れば明白である。当然、打倒の対象は松田家支配そのものでなければならないなどが。

今日は一日仕事もせずにぼんやり過ごしていたのだが、やはり鯉党の端くれとして昔のことを思い出すと、やりきれない気持ちになるのである。本当に、めでたくもあり、めでたくもなし、である。

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