本降りの雨に思い出ずる母の恩

昨日の予報どおり、当地には朝から今に至るまで本降りの雨が降り注いでいる。外出する気にもなれなかったので、今日はカープの代わりに大相撲中継でと思っていたのだが、結局かなりの時間睡魔のせいで眠りこけてしまった。そんな今日は母の日。母に感謝を伝えたくても、もうこの世にはいない。

旧ブログ時代から何度も書いたことではあるが、私が鯉党になったのは、子どもの頃に母から勝ってもらった野球帽が赤地に紺のCマークだったのがきっかけだ。もちろん、その時代にカープが古葉竹識監督の下黄金時代を築いたのが大きかったのであって、あの忌まわしき「失われた二十余年」であったら、きっとカープにはなびかなかっただろう。当たり前の話だが、ファンを呼びたければ強くならなきゃいけないのである。

そんな当たり前のことも、最近のファンには通用しないのが悲しい。たしかに弱くなったからこそ声援をすべきというのは間違いないのだが、所詮それも精神論に如かずである。ファンを繋ぎ止めたければ強くならきゃいけない、勝たねばならないのである。何でも結果を出さなきゃ意味がないというのも、また母から教えられたことである。

その意味では、かつての「失われた二十余年」の時代、いや今でもそのかけらが見えるのだが、カープのけしからんところは自ら強くなろうとすることに背を向けていることである。そんな背景があるのに、一生懸命やってるから応援しろと言われても、ふざけるなとしか言えない。一生懸命さなんて抗弁にならないということも、また母から教えられたことである。

今のカープに目を移すと、今日ハッチと堂林の抹消が公示された。堂林はいま完全にメンタルがやられているようだから、一度頭をクリアにしたほうが良いと思う。代わりに林が登録されるとのことである。これでショート矢野という貧打の象徴のようなオーダーは阻止できそうだが、林の結果次第だね。そうでないとまた守りの野球がーとかいう莫迦が跋扈するだけだ。

何度もいうが、野球というスポーツは自然数の世界である。全ては得点を積み上げるという方向にベクトルがあるのだ。防禦というのは、相手の攻撃をマイナスにできるものではないのだ。防禦を固めれば勝てるというものではないし、ましてや防禦は攻撃代替にはなり得ない。得点力を上げることは簡単でも、防御率を削ることは容易ではないのだ。そんなん当たり前の事なのだが、一部カープファンを称する人には理解してもらえない。

しかし、理解してもらえないのはこちらの主張が弱いからに他ならない。明確な誤りを主張しているのならともかく、論理的に正でしかありえないことを主張するのなら、しつこく言い続けないと駄目だし、それができないくらいならやる資格もない。だから私は繰り返しになってでも言い続ける。これは、高校時代に「女弁士」と言われたくらい口が立った母から受け継いだ、と言えるかはともかく、受け継いでいかねばならぬと思っていることである。

しかし、亡くなるまで母には心配をかけ続けたと思っている。今こそ感謝の意を述べたいのだが、もう直接言うことも形で表すこともできない。まさに親孝行したいときにはなんとやらだが、せめて母が教え給いしことを行動で表していくことが、せめて母に報いることかなと思う。その意味じゃ、今の自分はまだ半分もできてないなと改めて思う次第である。

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コメント

“本降りの雨に思い出ずる母の恩” への1件のコメント

  1. Иван Ивановичのアバター
    Иван Иванович

    プロ野球の無い日に
    こぼれ話.1
    臨済宗の開祖・臨済義玄の言行は、弟子の三聖慧然によって『臨済録』としてまとめられている。その中でも強烈なのは語録①殺仏殺祖

    『仏に逢うては仏を殺し。祖に逢うては祖を殺し。羅漢(悟りを開いた高僧)に逢うては羅漢を殺し。父母に逢うては父母を殺し。親族に逢うては親族を殺し。始めて解脱を得ん。』

    字面だけをみると物騒で「非道な教えだ」と思うかもしれない。が、別に「殺人のススメ」ではない。「他人の作ったものを崇拝している限り、自由にはなれないし、1人前にはなれない」ということ。たとえ相手が尊敬する偉大な「仏」だろうと「親」だろうと「友」だろうと、自分を縛る「しがらみ」は断ち切るべきという意味であり、つまり自由自在に生きるためには、「あらゆる執着を殺す」必要がある。西洋で言えば「神は死んだ(ニーチェ)」と少し似たようなノリかもしれない。

    こぼれ話.2
    分子生物学・バイオイメージインフォマティクスの分野で最もノーベル賞に近いと言われる岡田康志氏が、若い人へのメッセージを求められた際には「学生を見ていると、みんなすごく慎重に先のことを考えるんやね」「石橋を叩くように慎重に考えて選ぶんじゃなくて、もっと軽いノリでアレ、コレ、ソレって無節操に手を出して、いろいろやっているうちにおもしろいことと出会えることもあるでしょう」と語っている。

    やはり科学者でも日本人の根底にはカオス(ハチャメチャ)を肯定する傾向があり、西洋人は一神教だからカオスを排除し、対義語であるコスモス(秩序)を重んじる。

    ヒエラルキーによって成り立つ秩序って楽しいかなぁ???

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