睦月も上旬が終わっただけであるので、まだまだ春というには早いのであるが、それでも宵の口には西の空が少しずつ明るくなりつつあって、いわゆる「釣瓶落とし」の夜空とは違う。もちろんこれから寒さは本格化するのであるが、いよいよ早春の趣となりつつある、というと気が早いだろうか。いや、あと3週間でプロ野球のスプリングキャンプが始まるのだから、あながち早いとはいえまい。
昨日は取り立てて慌てて書くこともないかと思ったし、カープ関連のニュースを脊髄反射的に書くつもりもないからスルーしたが、今日もないといったらない。でもそんなこといっていたらしばらく書くこともなくなってしまうので、レンタルしてきた「ニッポン無責任時代」についてでも書きたい。三十年ぶりに見返して、覚えていたのはラストシーンだけだったのであるが、やっぱり面白いものは面白いという当たり前の結論に達した。
クレージー映画や植木等主演ものは、残念ながら駄作が多く、本当に面白いと言えるのは数えるほどなのだが、本作は屈指である。とにかく植木等の演ずる主人公平均(たいらひとし)のピカロぶりがスピーディでテンポがよくて飽きさせないのだ。ほんとうに、時間の経つのがあっという間だった。喜劇という範疇を超えて、邦画の中でも屈指の秀作といって過言でないと思う。途中までは。
残念ながら終盤から、おそらくは東宝の上層部の横槍が入ったか、急に展開がおかしくなってしまう。ネタバレになるためどこからがどうだとはいわないが(でも一度御覧になると絶対に分かるはず)、これが日本喜劇の、いや邦画の衰退を来した原因というと言い過ぎか。やはり、日本映画では主人公は「いい人」じゃなくてはならず、ああいう乾いたピカロは合わないのかもしれないね。
まあ、そもそもあの映画は植木等フィーチャリング映画ではあるが完全な主役ではない。当時の東宝の看板だった「お姐ちゃんトリオ」にクレージーキャッツを合わせて新味を出そうとしただけともいえるのだ。だから、所詮はこれまでの路線の延長のB級コメディということもできる。それゆえ大冒険も出来なかったのかもしれない。ああいうピカロ的な笑いはそれこそ「お呼びでない」のかもしれない。
思うに、煮詰まった社会であればあるほど新味を出すには種々の抵抗があるのだ。過去数日書いたとおり我が社だってある意味そうだし、カープを巡るサークルだってそうだろう。あれだけ前政権で組織としてボロボロになっているにもかかわらず、抜本的な改革に対する抵抗は強い。結局「アライさん」の家族主義で騙されているのではないかと思う。これじゃあいかんだろう。やっぱり私も令和の「平均」になって、タイミングにC調に無責任で闊歩していきたいところである。






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