ワルクチは昼間にいい加減書いてしまったので、たまには真面目な話をしてむることとする。標題からして随分大きく出たような気がするが、結局それに収斂する気がするので、こうつけてみた次第である。まずは、かつて父から聞いた逸話からスタートさせてみる。
むかしむかし、世をはかなんで一家心中しようとした家族がいた。その方法として、夜中に鉄道の線路に寝転がって轢かれるのを待つというものを選んだ。やがて遠くから貨物列車がガトンゴトン、ガタンゴトンと近いたのだが、その家族は轢かれる前に真っ逆さまに逃げ出した。おしまい。
これが何を意味するかというと、要するに死ぬには恐怖のほうが先立つのである。自死は簡単にできると思うのは甘い。やはり人間の本能として死=恐怖というのがあるのだ。だから、一瞬でも考えた途端に自死はできなくなる。人間はそういうものなのだ。
それでは、どのようなときに自死へのアクセルが踏まれるか。蓋し、自死へ向かう行動が本能をショートカットしてしまう場合だろう。具体的に言えば、衝動によるものだ。死への恐怖という本能をスルーするか、本能がメルトダウンしてしまった場合に起こりやすくなると言ったらいいだろうか。
これは私も経験があるからわかるが、もう生きることに絶望してしまうことというのは、案外簡単に訪れる。いっそこのまま消えてしまいたいと思ったときが駅のホームだったとき、本当に吸い込まれそうになる衝動に駆られるのだ。ただ、私は恐怖に負けたから今ここにいる。逆に、何らかの事情でその過程にショートカットが発生したら、本懐を遂げてしまうことになる。
そんなことを考えてしまったのは、今日勾留されていた被告人、不同意性交等などの嫌疑をかけられていた警視正が自死をしたという報道が流れたからである。もちろん広島県警もそうならないように特別監視体制を取っていたようだが、結果的にはそうさせてしまった。しかし、自死へのアクセルを踏むのは多く衝動であるという私の見解からすれば、完全に防ぐことは困難であるとしか言えない。
この件については、もっと言いたいこともあるが、それについて書くと徒に長くなってしまうので、今日は書かない。ただ、自ら死ぬのはかなり難しいが、ある条件が揃うとあっさり本懐を遂げてしまうということは、知っておいて良いと思う。
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