昨日はくつろぐべきちょうどいい時間帯に睡魔に落ちてしまったので何もできなかったのだが、今日は違う。いまだに頭の中がかっかしているというか、要するに腹が立っているのである。よって睡魔どころの騒ぎではない。我が社の腐りっぷりを目の当たりにしたら、もはや涙がちょちょ切れるというものだ。
ほんとうに、いったい我が社の上層部はどこを見て仕事をしているのだろうかと思う。どうやら結局のところは自己の保身しか頭にないようだ。自分たちが大過なく過ごすことが自己目的となっているから、それに抵触しかねないことがあればてらいなく下の者に責任を押しつける、そういう構造ができあがっている。それどころかそうしたことが彼らの手柄になるのであある。ばかばかしいったら、ありゃしない。
だから、もはや私はこんな職場に誠意を尽くす気はさらさらない。もはや上の者が何を言おうと面従腹背である。いや、先日書いたとおり令和の平均たらんと思っているから、まさに無責任の限りを尽くしピカロとなって世を渡らんと思っている。♪人生で大事なことは、タイミングにC調に無責任、だ。
いや、もっと言わせていただくならば、この世の中、♪馬鹿に馬鹿足しゃ馬鹿ばかり、馬鹿から馬鹿引きゃうすら馬鹿、である。♪利口ぶっても威張っても、とどのつまりはちょいとボロを出す、のだ。ならば天下御免の馬鹿になって、この世の中をまさにスイスイスイダラダッタと渡っていってやりたいと思っている。我が社の大半からは白眼視されるだろうが、そんな利口ぶった馬鹿が増えるから我が社は腐ったのだ。
実は明日、そして月曜日に、こんな煮詰まった職場のなかでさらに非生産性の極みのような行事がある。しかし、今の私にとってはどうでもいいことだ。むしろどうやってこの面白みのなさの極地のような行事で面白いことを見いだすかということに私の興味はある。そう思わないと、やってられない。
さて、景気づけに、今晩も植木節をお供にするかな。受験時代に出会って以来、私の気持ちを押し上げるのに一番いいのは植木節なのだ。さあ明日もハッスルホイ、なんだか知らぬが天下取った気分に、なれるといいけどね。






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