昨日はずいぶん柄にもないことを書いたが(でも本音だけど)、やはり疲れているんだろうと思って、妻子がDVDをレンタルするのに乗じて往年の植木等主演映画「ニッポン無責任時代」を三十数年ぶりに借りた。クレージー映画の中でもナンバーワンの秀作であって、今見ても多分面白いのである。今から約60年前に封切られた映画なのであるが、つまらぬ現代日本喜劇よりよほど面白かった。過去形にしたのは、借りてからまだ見ていないので、昔と同じ感覚で見られるかという保証がないからである。
ところで、クレージーといえばいわゆる一連の「植木節」なのであるが、それを最も多く作詞したのはいうまでもなく青島幸男翁である。今聞いても十分面白い、一部ネタでもなく時代と寝てもいない普遍的に面白い歌詞を量産しただけでもすごいのだが、名曲「スーダラ節」のサビ、「アホレ、スイスイスーダラダッタスラスラスイスイスイ~」を、曲が出来る前に書いているのである。すなわち、メロディーに合わせて適当に付けた歌詞ではないのだ。本当に恐ろしい作詞家だったというか、これぞプロ作詞家というべきだろう。
でも、こういう仕事が出来る人はもう出るまい。なぜかというと、やはり時代がそういう職人芸をもう必要としていないからではないかという気がするのだ。修練を積んで出来る作品よりは、誰でも出来る素人芸が尊ばれる時代なんだろう。
また我が社についての愚痴になるようだが、もはや今望まれているのはプロフェッショナルとしての実践知の継承というよりは、どうすれば誰でも間違わないかというところに軸足が置かれている。そりゃ確かに大事なことには違いないが、そこから一歩も抜け出せないのも問題ではないかだろうか。その先にあるものは唾棄すべきマニュアル的硬直思考に過ぎないはずなのだが。いけない、また生産性のないながばなしになるところだった。
そういえばもう睦月も八日。松も取れたしもうすぐ鏡開きである。大相撲一月場所も始まった。いよいよ2023年も本格始動だ。さあ、今シーズンサンフレッチェやカープはどんな試合を見せてくれるだろうか。願わくば、この世界だけでもプロフェッショナルならではの仕事が見たいものである。勝ち負けは、その延長戦に付いてくるはずだ。
でも、カープはな、いくらアライさんが華々しくぶち上げたからといって、なんとなく「ガタンと止まって、ハイそれまーでーヨー」となりそうな気がするな。もしそうなったら?そりゃ、「ふざけやがってふざけやがって、ふざけやがってコノヤロー」だな。