ほんとうに「家族」を標榜するんだったら。

「俺は好き嫌いで起用しない。何でか分かるか。嫌いな人がいないからだ。みんなは家族だ」

既に報じられたとおり、新井監督が日南キャンプに合流し、選手にこう語ったという。概ね好意的に報じられているし、まあ悪い言葉ではない。ベタといえばベタだが、選手を鼓舞するには十分だろう。

はっきり言って、近年のカープは明らかに好き嫌いで選手起用がされていた節がある。特に佐々岡政権下では部外者でも分かるほどに依怙贔屓が見られた。末包なんて最大の被害者かもしれない。矢崎だって結果を残したからよかったが、佐々岡は最後まで信用していなかったに違いない。こういうところが丸見えだったから興醒めだし、きっと選手はしらけきっていたと思われる。

そういう不満のマグマを、外から見ていてよく分かっていたんだろう、と信じたい。でないと、最初にそんなことを語りはしないだろう。と思うのだが、新井監督は現役時代から常々カープは「家族」だと言っていたから、単にその延長線上の言葉かもしれない。まあ理屈はともかく、結果として選手を鼓舞することができればそれでよいのである。少なくとも、この言葉を聞いて悪く思う選手はいないだろう。よほど新井監督が嫌いだったら別として。

そうなると、ならば我々ファンも含めて「家族」だ、という向きが出てきて、となるところなのだが、ちょっと待てよと言いたい。はっきり言って頭の弱い一部自称ファンに限って大きな顔して言いそうなのだが、その前に自分たちの行状を反省してからにせいよと言いたいのだ。

昨日戴いたコメントを敷衍するようで恐縮だが、自分たちも「家族」というなら依怙贔屓は厳禁なのである。もちろん特に好きな選手があるのはやむを得ないことなのであって、「最推し」がいて何ら問題はない。しかし、今の風潮を見ていると、自分の好きな選手を推すと言うよりは、当局が推したい選手に付和雷同しているようにしか見えない。いや、それでもいいのだが、さらに調子に乗って当局があまりよく思っていない選手を叩く風潮にあることは、確かだ。

今その被害のまっただ中にいるのが、中村奨成だろう。そりゃやったことはお世辞にも褒められないし同情もしないが、それがどうしたですませられるレベルの話である。何で叩かれなきゃならん。てゆーか、本来味方に回らねばならぬカープファンがよってたかって叩かねばならぬ。そんな仕打ちをしておいて、なにが「家族」なものか。冗談じゃない。

新井監督が本当の意味で「家族」を標榜しているかどうかは、奨成の処遇がひとつの試金石になると思う。これであろうことか放出でもしたら、しょせんは新井貴浩も当局べったりと思わざるを得ないし、それ相応の批判はさせていただく。それでもの知らぬあほうどもに「家族」じゃないと言われても結構。逆に「似而非家族」だと言って差し上げる。

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コメント

“ほんとうに「家族」を標榜するんだったら。” への1件のコメント

  1. Иван Ивановичのアバター
    Иван Иванович

    「火宅の人」(檀一雄の長編小説)は映画化された作品でもある。
    前に少し触れたことがあるが、私の幼馴染みのオリキチくんの家庭がまさに「火宅」であり、彼は幼少期から実母の激しいDVを受け、毎日のように我が家に避難していたような関係性である。彼の父は余所で複数の愛人を囲うような男で実質家庭崩壊していた。そういう我が家もDVではないものの、スパルタ教育を受け継ぐ家系で私自身にも生傷が絶えなかった。そういう「火宅」で育つと依存する人がいないわけで、自然に早期に自立するしかないのだ。私の場合、日本の高校を半年で中退し単独渡英(英国の小学校時代の友人宅を転々とし、怪しいバイトに加えfortune tellerとギャンブルで稼ぎながら地元の高校に通い)親からの支援無しで自力で大学~大学院を卒業。傍から見ると苦学生に映るようだけど、本人は「火宅」から脱出でき至って元気ハツラツ(笑)。勝手気ままに好きなことをやり意気揚々としていた。

    そういう経緯から、安易に「家族」愛を語る人は苦手だなあ。別に「火宅」でなくても、幸せ満載の家庭ってごく僅かなんじゃない?映画やドラマの疑似家族愛じゃあるまいし。現実を正視せず、幻想に逃げる人種は信用できない。

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