広島から人がいなくなることは、広島の集客ビジネスが先細りするということを意味するのはいうまでもない。当たり前だがカープはプロスポーツ興行だ。お客さんを集めてなんぼ、ファンがついてなんぼの稼業である。特にサンフレッチェとの集客競争は喫緊の課題となるだろう。いかに試合数が違うとはいえ。それはドラゴンフライズやサンダーズとの間でもいえる。
サンフレッチェは、エディオンピースウイング広島のキャパを少なく設計したことが痛恨事だが、それでも毎試合それなりに集客している。もちろんライトなファンを引きつける要素としての新スタジアム効果があったとはいえるが、それだけではない。勝つから、強いからみんな見に行きたくなるのである。いや、それだけではなかろう。サッカーの中身そのものがFantasticだから見に来てくれる側面もあるのだ。もちろんまだまだ完成形には遠いが。
しかるにカープはどうか。昨日も書いたがMAZDA Zoom-Zoomスタジアム広島も開業して17年目であって、その時は最先端だったかもしれないが徐々に陳腐化してくるのは避けられない。もちろん後から出来た、あるいは改装したスタジアムはそれを見習ってもっとハイスペックなものを作っている。小手先の変化でお客さんを呼ぶには、むしろ限界があるといっていいかもしれぬ。
なんでもそうだが、ファン層にはコア層とライト層がある。その両方を満足させられないとファン満足度は最大化されないのだ。しかもライト層は簡単に離れてしまうから、それをつなぎ止めつつコア層に訴求することが大事になってくる。しかし、それは簡単だ。サンフレチェと同様に、強いチーム、勝つチーム、そしてAttractiveな野球をするチームを作ればよいだけである。
ところが、カープは、いやハジメはそれをやらない。彼奴はカープが強くなってもらっては困るのである。彼奴の目的は総収入を挙げて総経費を抑制し、自らの私腹を肥やすことなのである。だから、頭を使って(ここ大事。彼奴は決して莫迦ではない)今のビジネスモデルを作り上げたのだ。それを崩すことは、断じてやらない。したがって、カープには魅力ある選手がいなくなり、勝てなくなり、弱くなるのである。それがちょうど今だ。
よって、ライトなファン層は完全に離れている。それはシーズン終盤のガラガラのスタンドが物語っている。こんなチームを、こんな試合を見たくなるわけないではないか。しかし、コア層の中には、だからいいんだ、そういうチームを応援することこそ真のファンだと嘯くあほうどもがいる。だから余計にチームの弱体化が進む。怖いファンの目に晒されないチームの選手が、必死に勝てる野球をやろうとするわけないではないか。
しかし、コア層も岩盤ではない。それはガラガラのスタジアムの中で、ホームパフォーマンスシートの空席が目立っていたことからもいえるだろう。下手をしたらビジパフォに負けていた日もあったくらいである。岩盤どころか、実はBolshevikiを名乗る少数派であることの証左だ。要するに、いずれはごく少数しかファンが残らないことを意味するといっていい。すなわち、今のままではカープに未来はないのだ。
何度も言うようだが、そんなハジメにもいずれ天寿を全うすべき時が来る。そうすれば甥のカズヒロに継承されるのだろが、彼がどのくらいカープ球団の経営に情熱を持っているかは分からない。ハジメのことを客観的に、批判的に見ていれば今のままじゃ駄目だと思うだろうが、所詮は一族だから、ハジメのやり方を劣化的に継承するのは目に見えている。旧ソ連などの元東側諸国とかお隣の領導様の国を見ればそれは自明だ。
しかし、前記のとおり、カープには未来はない。要するにハジメ流経済モデルはいずれ破綻する。その時にカズヒロはどういう手が打てるだろうか。カープを松田家の私有物にし続けようと思うのか、カープを広島のために、広島の大事な公共財だと思ってくれるか。それは分からない。イズミとか大創産業とか広島ゆかりの大手企業はあるのだから、その血を入れればいくらでも立て直すことは可能であるはずだが、前者の選択肢をとったらカープに残された道は破滅のみである。
その時にである。いまだに野望を諦めていない球界の縮小均衡を目論む輩どもがカズヒロに接近したらどうなるか。結論から言う。カズヒロは絶対に奴らに魂を売る。他球団との合併話に首を縦に振るだろう。
これは別に広島人だけではないが、日本人はなにかと縮小均衡が大好きだ。それが健全なあり方だと思い込んでいる節がある。2004年の球界再編騒動で多くのプロ野球ファンが騙されたのもそれが理由である。実際は逆で、縮小均衡に舵を切った時点で経営はアウトになるといっていい。MLBはことあるごとにExpansionを繰り返しているし、Jリーグも結局J3まで60球団のカテゴリーに発展させて今がある。単にプロスポーツだけではない。ディズニーリゾートのあり方なんてまさにそうではないか。
これも何度も書いているが、宮内義彦は未だに1リーグ10球団制の妄想に囚われ続けている。宮内とてやがて天寿を全うするが、その思いはきっと引き継がれる。もちろん渡邊恒雄という後ろ盾がなくなり、讀賣グループも何を考えているかは分からない。しかし球界縮小均衡派も何かをきっかけに夢よもう一度と思っているに違いない。
そうなったときに、カズヒロが合併話を吞み、しかも吸収合併の道を選んだらどうなるか。カープの名前が残らず、広島に本拠地が置かれない可能性だってありうるのだ。2004年のときとは事情が違う。あのときは大阪近鉄の名前が消えたが、オリックスブルーウェーブはファンも消え、現場もボロボロになり、大阪近鉄バファローズを丸呑みする大義名分がなかったからなのである。
正直なところ、今経営が盤石なのは腐っても讀賣グループがついているジャイアンツと、阪急阪神ホールディングスになったタイガース、それに北海道移転でうまく生き延びたファイターズくらいではないか。ソフトバンクもある意味投資会社だから、時限爆弾のひとつやふたつはある。後の球団は、経営母体が必ずしも安定しているとは言いがたい。だから、宮内一派が球界再編ごっこをやる前提はあるのだ。
今のままでは、カープが近い将来第二次球界再編に呑み込まれたら、ひとたまりもないだろう。それを回避するのは、松田家支配の排除しかもはやあり得ない。しかし、カープファンにその問題意識は薄い。むしろ松田家との近さを誇ってヒエラルキィを作ってさえいる。このようなサークルに、明日があると思う方が間違いだろう。
ここまで書いたことは、決してBluffでもPessimisticな妄想でもない。二度にわたり愛する球団を失った私が見た冷徹な現状分析からの危機意識であるとだけ言っておく。もちろん、そうならないことを心から願っているが、むしろ多くのカープファンはそうさせる方向に舵を切っているのが寂しいのだ。
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