どんなスポーツでもそうだが、点を取ることは難しくできている。サッカーは手が使えないし、相手のディフェンスラインの後ろで待ち伏せすることができない。ラグビーは手が使えるが、ボールが楕円形だし、ボールのあるラインの前からボールに絡むことができない。そして前へのスローができない。アメフトは前へのスローができる代わりに、3回の攻撃機会で10ヤード進まないと攻撃権を失う。
丸いボールの球技に戻すと、バレーボールは相手コートに返すまでに3度までしかボールに触れられない。バスケットボールはボールを持ったままでは3歩までしか動けないし、そもそも高い所にある小さなかごに放り込まねばならないのだ。そもそも、スポーツの得点方法なんて、すべてが非合理であるし、だからこそ面白い。
その段で行けば、野球なんてそもそも非合理の塊だ。小さな丸いボールを18.44メートル向こうから投げて、それを細長い丸みを帯びた木の棒で立たねばならず、それをさらに相手野手のいないところに落とさなければならないのだ。なかなかに難しい競技だと言える。
しかし、球技はたくさん点を取ったほうが勝つのが大原則だ。勝ちたけりゃ点を取らねならないのである。だからこそ点を取るプレイというのは見ていて楽しいのである。守りが大きな価値を持ちそうなサッカーでさえ、「カテナチオ」のアズーリ軍団の近時の低迷を例に引くまでもなく、それだけじゃだめなのが世界の潮流といっていい。
ついでにいうと、スポーツのルール改正の歴史は得点を入りやすくせるための歴史でもある。例えばサッカーでは味方のバックパスは手で扱えなくなった。また、バレーボールにサープ権というものがあったのを覚えておられる向きも多いだろう。ラグビーの「トライ」といえのは、もともと「トライ・フォー・ポイント」と言って、ゴールキックをして点を取るための権利にすぎなかったのである。
さて、野球はそれでもまだ点が入りやすいスポーツだからか、点をたくさん取るためのルール改正と家のはあまりない(ソフトボールにはスローピッチ・ソフトボールというのがあるが)。あえて言えば、各球団におけるグラウンド設計の工夫がそれに当たるか。例えば前にせり出した席を作ってファウルゾーンを狭めることがそれに当たるだろうし、かつての甲子園球場のラッキーゾーンやみずほPayPayドームのホームランテラスもその一環だろう。
要するに、少なくともプロスポーツというのは点を取るプレイを見せることが務めなのである。そんなの当たり前のことであって、今さらこんなこと強調する必要は本来ない。ましてや、プロスポーツというのは一種の大衆芸能のようなものだ。ならばお客さんを喜ばせてなんぼではないか。
しかし、カープファン界隈は当たり前のことが通用しない。点を取らないで勝つ野球が理想のように吹聴しているあほうがいるのである。それをきっと「守り勝つ野球」と呼んでいるに違いない。彼らは、それがカープの野球の伝統だとほざく。しかし、すべて嘘出鱈目である。
結局、何か通説と違うことを言えば頭がいいように見えるのではないかという重大な勘違いがベーゼにあるのだろう。確かに故鈴木竹雄翁は「権威ある説を批判するのにエクスキュースはいらない」と語られたのだが、理屈に合わないでっち上げを言ったところで、恥をかくだけだ。
だからこそ、こういうバカープファンは徒党を組みたがるのだろう。一人で言えば恥ずかしいが、百人で言えば嘘も本当になると信じているのに違いない。赤信号みんなで歩けば怖くない、の世界かね。
話が逸れた。そういう意味ではサンフレッチェは素晴らしい。私はサッカーの戦術については門外漢だし、Skibbeのサッカーがすべて正しいという気はないが、とにかく点を取りに行こうとするダイナミズムを感じる。今日のルヴァンカップ準決勝第1戦、スタッツ的には横浜FCと対して変わらないのである。しかし、結果は2-0。中島洋太朗のあまりにも美しすぎるゴールに中野就斗のすさまじいロングシュート。まさに、これぞ銭が取れるプレイなのだ。
今のカープに必要なものはまさしくそれなのであって、点が取れるプレイ、点を取るための打撃であり走塁なのだ。それが尊いのである。わかりる?バカープファンの皆さん。






コメント
管理人さんの標題「点を取るプレイは楽しいし尊い」は、そう単純には言い切れない要素は案外多い。
たとえば、カープが交流戦でパシフィックを代表する剛速球投手・今井達也から8安打5得点で快勝した試合は、今シーズンのベストだと思うんだよね。なぜなら、トップの投手を攻略したことに意義があるのであって、カープの得意技である緩い二線級投手から大量点を奪い、勝って喜べるって、それこそバカープファンくらいでしょ。同レベルもしくは格上の投手やチームに勝ってこそ溜飲が下がる。
同じプロでも弱い相手から、いくら得点を重ねても喜べんでしょ。
アマチュアだって、高校野球の地方予選で弱小チームに20-0で勝って喜ぶ強豪校なんて一つもないやん。それで喜ぶ選手がいたら、次戦はスタメンから外されるだろうね。
事例を挙げておられる「カテナチオ」のアズーリがウノゼロで勝つのと、セレソンが攻めまくって1-0で勝つのでは、意味合いも面白さもぜんぜん違う。また、セレソンが現在のアズーリに6-0の大差で勝って嬉しいか?といえば、”Não”
他の球技にしても、全部同じ。
実力が拮抗している、或いは格上の相手に勝てたら、たとえスコアが1-0でも嬉しいやん。格上相手に大量点を獲って「打ち勝て」なんて言うのは理論的に無理があるし酷なんじゃない?
何回も述べるように、「守り勝つ」「打ち勝つ」の定義に拘るのはナンセンス。手に汗を握る緊張感に満ちた白熱した試合なら、どっちでもエエよ。
大量点勝ちでも、白けた試合はある。どんな競技でも、レーティングの低い相手に勝って満足できる程度だったら、勝負事に向いていない。