今日の敗北は、物わかりの悪いバカープファンに現状のダメダメさ加減を教えるためには最良だったと思う。本当に完璧な力負けであり、点を取れなきゃ勝てないという当たり前の公理を示しただけに過ぎない。この試合を見たファイターズファンはカープをさぞ莫迦にすることだろう。いや、莫迦にされて当然なんだけどね。まあ、中途半端に点取らずに良かったと思う。え?9回の反撃が明日に繋がる?まだそんなこと言ってるのかい?
先の福岡での三連敗は、今のカープのオフェンスが極限まで悪くなっているということへの野球の神の警告だった。しかし、よほど野球の神も意地悪らしい。もはや役立たずであるに等しい田中広輔に同点ホームランを打たせるという細工をしてきた。案の定新井は勘違いをした。7番ファースト田中。アホか、である。さらにいえば、5番キャッチャー坂倉。今日の敗北の原因の6割5分くらいはこれにあると思う。坂倉が悪いのではない。坂倉が不出来なのは素人にも分かっていたことだ。なにをおもんばかって坂倉をキャッチャーで、しかも5番で起用したのか。訳が分からない。
そしてよせばいいのに矢野である。18打席絶賛ノーヒット中、しかも惜しい当たりすらないというオフェンスのお荷物にまだ拘るらしい。矢野に関してはすでにバファローズ戦の初戦で対策が示されているのであって、相手にとっては、申し訳ないがいいカモだ。最後四球を取ったって?あのね、あの展開で内角、いや真ん中にストレート系の球を放れなかったピッチャーが終わってるの。だからすぐ新庄はマウンドから降ろしたんだよね。
いい面の皮だったのは床田だろう。いつも表情を変えないのだが、今日はなんとなく憮然とした表情で投げているように見えた。そりゃそうだ。こんなん連れてやってまんねん、往生しまっせといいたいに違いない。そもそも失点してしまった時点で気持ちが切れただろう。なんといっても47イニングス連続タイムリーヒットなしという惨状である。それなのにこんな冗談みたいなオーダー組んでさあ投げろと言われても、そりゃ気持ちも入らないだろう。まあ、床田だったから4失点で済んだのであって、他のピッチャーだったらその倍は取られていたに違いない。
それでももの知らぬカープファンは、一生懸命現状のまま辛抱していればいつか報われると思うのだろうか。それははっきり言ってカルトである。同じファンとして扱われたくない悪魔の所業である。こんなのが跳梁跋扈するなら、私はカープファンと呼ばれなくてもかまわない。ウォッチャーで十分だ。傍目八目、見ているだけの方が分かることがあるのだ。
それに比べてファイターズである。実に魅力的なチームだと思う。新庄のやってきた野球には批判も多かったが、やってることは首尾一貫している。蓋し、勝つためにはどうするか、どういうチームを作るかである。前任者の残したチームは、そもそも戦う態勢にもなっていなかった。それは自分で変えることはできない。しかし、未来なら変えることができる。そう思った新庄なりのレアリスムが過去2年間だったのだろう。
昔、まだ新庄がタイガースの「アイドル」だった頃、故長谷川良平翁が新庄と同郷同学年の前田智徳と比べて、「野球を追求していない」と評されたことがあった。その言は半分は正しいと思う。しかし、彼の追求している野球は、畢竟エンターテインメントとして優れたものでなければならないということではなかったか。そういうと語弊がありそうだが、エンターテインメントの頂点に立つべきなのは「勝てるチーム」である。そういう意味では、勝利というものにドライだったのが新庄で、あくまで一選手としてどう振る舞うかという求道者だったのが前田智徳だったのかもしれない。
それはさておき、間違いなく新庄はいいチームを作っている。それに比べたら新井には進歩がない。このままじゃ去年と同じように沈んで、中途半端にポストシーズンには進出して負けるということを繰り返すだろう。そのためには、新井が変わらなければならない。なにも新井に直ちに引っ込めというものではない。君子豹変す。名将というのはいかに変わり身を見せるかである。それができたら、今の混戦、という名の低レベルNPBなら、突き抜けられるかもしれない。
明日?森下が2安打完封くらいすれば勝てるかもしれないが、今の壊滅しきった赤ヘルヘボ打線が伊藤大海から点を取れるかな。新井がこの現状をどう分析して反省するかだけど、やっぱりキツネザルには無理かな。「負けるが勝ち」というのは、やっぱり頭の良い人にのみ分かることなんだろう。
おのれより絶えずおのれを放逐し変貌し否定しかつ敗北す(齋藤史)
旧ブログから何度も弾いている歌だが、やはりこの言葉が身にしみる。
人気ブログランキング広島東洋カープランキングサンフレッチェ広島ランキングにほんブログ村にほんブログ村
コメント
「負けるが勝ち」という諺は文人によって解釈が異なるけれど、玄侑宗久(僧侶&芥川賞作家)が動画で語っているのを観ると着眼点がオモロイ。
彼のエッセイ『なりゆきで生きる』の英訳版では、”Losing is Winning”と直訳しているのだけど、英語圏民は戸惑う言葉だろうと語っている。
「負けるが勝ち」というのは、今回負けても次は必ず勝つという意味ではない。今回の悔しさをバネにし切磋琢磨し、勝ちますよという意味でもない。
日本人の心の中には、対になるものを両方肯定するという心持ちがある。
「善は急げ」といいながら「急がば回れ」ともいう。「栴檀は双葉より芳し」といいながら「大器晩成」という。「一石二鳥」といいながら「二兎を追う者は一兎をも得ず」と。その両方が時と場合によって認められるという中で我々は生きているので、「負けるが勝ち」と言えるっていうことも、初めからその勝負をしたくなかったんじゃないかと。
本当は「急がば回れ」と考えていても、世の中は「善は急げ」のほうで勝負を迫る。効率とスピードを求められるこの世の中では、自分の生き方でいくと負ける。負けるけどいいじゃないかと、非常に反骨精神のある素敵な諺じゃないかなと。
NPBで勝ち抜く方法って、そんなに難しいことではない。投打ともにパワーとスピードを兼ね備えている選手の多いチームが勝つ。MLBとNPBの力量差を比較すれば一目瞭然やん。
小細工せずに、パワーとスピード兼備の選手を集めるか、訓練でパワー系の選手を増やすか。
まあ、相手投手の投球数を多くするためにファールで粘るとか、当て逃げで内野安打を稼ぐような邪道を首脳陣が推奨しているようじゃ、魅力的なチームになるわけがない。パワーとスピードで他チームを圧倒する王道野球を目指さないと、いつまで経っても認められない。