解答は、ひとつではない。

昨日は忘年会で深酒していたため、更新に及ばなかったが、まあサッカー天皇杯決勝くらいしかネタがなかったのでどうでもいい。今日も今日とてさしたるネタはないのだが、そろそろ年末モードということで、つらつらと書いていくこととしたい。

さて、この年末に中古で買ったiPod touch第5世代が壊れてしまい、改めて第6世代のそれを中古で購入した。幸いにライブラリは保存されていたのだが、いくつか消えていたものがあったのを改めて追加するなどの作業をしていた。その中に、菅原洋一ヴァージョンの”La Cumparsita”がある。いわずとしれたアルゼンチンタンゴの名曲とされている曲なのだが、その割には調べることに歌詞が違ったり、そもそもの曲も違ったりしているのを不思議に思っていた。

一念発起して歌詞を覚えたいと思い、いろいろ調べてみて、思わぬことが分かった。この曲、実は出自がウルグアイなんだそうである。しかも、詩先曲先というなら完全に曲先、しかも他の人が作った曲に勝手に詩を付けてタンゴとして売り出されたそうだ。なので、この曲が出来たときには一悶着あり、それが尾を引いているかいまだにいろんなヴァージョンがあるんだそうである。どうりで調べるごとに違うものが出てくるはずである。

ところが、あとから受容した日本では、そのメロディーが日本人の耳にあったのか、あたかもアルゼンチンタンゴの代表曲のようになってしまったという次第である。一番有名なのはやはり淡谷のり子ヴァージョン(YouTubeやApple Musicにあり)か、菅原洋一翁のものだろう。菅原洋一翁と言えば私の世代にとっては外国歌曲の伝道師みたいな人だったからかもしれない。なお、御年九十だがまだお元気で、今年もオリジナルアルバムを出されている。

もっといえば、スペイン語で正確に言うなら”La Cumparsa”なんだそうである。Cumparsitaというのはイタリア語訛り?らしく、どうも最初に詩を付けた人がイタリア系だったからこうなったようだ。こうなると、混乱の原因も分かるような気がする。

そのせいもあって、歌詞の世界観まで百花繚乱である。淡谷のり子版は完全に淡谷のり子の世界だし、初代林家三平版(本当にあるんです)はいかにも古典的なアルゼンチンタンゴの受容に忠実な感じである。しかし、もともとの歌はなかなかハードである。要するに、惨めな過去をさいなんでいる男がボロボロになって死へ向かう様を”Cumparsita”(仮装行列)に例えているのであって、これを歌いこなすには相当の歌詞読解力と歌唱力が必要だろう。

ちなみに、元歌と日本語詞が乖離している例はほかにもあって、有名なのは「愛の讃歌」。あまりにも岩谷時子作の日本語詞が有名になって結婚式でも使われているが、これはもともとエディット・ピアフが自分の恋人が死んだときに作った曲である。美輪明宏訳は原曲に忠実なので、聞き比べたらその差に驚かれることだろう。ちなみに淡谷のり子版はその中間と言っていいか。

話が逸れた。要するに、何事も答えというのはひとつではないのである。私は法律学しか知らないが、法学系およそ文系とされる学問では自明だし、理系の学問だってそうだ。数学や理科で答えがひとつしかないと思っているのは頭の弱い証拠である。そりゃ1+1=2が狂ったら理科系の体系はすべて崩れてしまうが、それ以外のものは実は絶対とは限らない。実際、ユークリッド幾何学でもそれに対する異説はあるらしい。また、答えがひとつしかなくはないから、次々と新たな発見があるのだ。もし何でも答えがひとつなら、理科系分野にノーベル賞はいらない。

ね、マツダハジメ商店の流すプロパガンダを絶対のものと信じ込んで疑わないカープファンの皆さん。一度その前提を疑ってみませんか?もっと思考が自由になって楽しいと思いますがね。

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