午後11時のモノローグ その131

最近の人には「上方落語の四天王」と言っても誰のことか分からず、知っていても見たことのない人が多いに違いない。いうまでもなく六代目松鶴、三代目米朝、三代目春團治、五代目文枝であるが、すでにみんな冥土名人会入りしているから仕方がない。それどころかその総領弟子の世代やその次の世代も次々冥土名人会入りしているところである(例えば、仁鶴、枝雀、春蝶、小染など)。ほんとうに、時の流れは速いものである。といっても、今日は上方落語の話をするわけでは、ない。

その四天王の筆頭格であり、ただひとり古稀を前に駆け足で冥土名人会入りした六代目松鶴が門弟に残した言葉に、「落語はジャズや」というものがある。私は六代目ではないから真意を知るわけではないが、按ずるに落語というものはお手本どおりやればいいものではない、その場その場に応じての変幻自在さが大切だということなのだろう。確かに、いくら同じ噺でも毎回毎回同じテンポで同じギャグで語られても、面白くない。

そうすると、六代目の顰みに習うわけではないが、プロ野球だってジャズの要素があるのではないかと思う。確かにベースとなるプレイはかっちりと出来ていなければならない。いや、なんだってそうだ。基本のなってない臨機応変はただのむちゃくちゃである。そこが完璧でなければならないことは事実である。しかし、それをお手本どおりに表現すれば良いというものではない。野球とは「型」の美しさを競う競技ではないのだ。

そのあたりを、カープを巡るサークルを構成する人々は、誤解しているのではないかと思う。蓋し、なにか依拠するべき公定的見解があって、その通りにやらねばならないと。まさに今のカープの野球を見るに、seinとsollenが混同されているような気がしてならない。何か選手を締め付けて楽しんでいるようなものだ。まさに、「ネバナラヌ」野球だといっていい。そんなものは、大概つまらない上に結果も伴わないのが通例である。

その典型が、いわゆる「守り勝つ野球」という正体不明のスローガンなんじゃないかと思う。とにかく発想からなにからスクウェアであって、ちっとも面白くない。でも、広島人はそれが大好きだ。だから沈没するんだな、この街は。

ましてや、プロ野球は興行であり、いわば大衆芸能の一種とも言えるのである。ならば、お客さんを楽しませなければいけないではないか。そのためには、なおのことJazzyな発想が必要だろうと思う。いっちゃあなんだが、カープの野球って、下手くそな人情噺を聞かされているようなものだ。肩ばかり凝って、ちっとも面白くない。

古葉さんの頃は違ったな。まさにその野球はジャズだったのかもしれない。そんな赤ヘル野球が変質した原因は、やっぱり彼奴のせいだな。もちろん、「親愛なる領導様」、だよね。

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