繰り返すようだが、昨日の敗北は、ひとことで言って「恥」としかいえないものだ。今のドラゴンズは、どう贔屓目に見ても手負いの状態であることは一目瞭然。しかも先発投手は中2日、4番打者は離脱したばかりという状況。もしカープが本当に今シーズン名をあげたいのであれば、完膚なきまでに叩かなければいけなかったのだ。それが、見事に足下すくわれての負け。話にならない。というより、物笑いの種だ。
さすがに今日の大本営発表はどこもかしこも非常に歯切れの悪いもので、黒原の復活登板に明るさを見いだそうという仕立てが関の山。そりゃそうだ。あんなの褒めようないもん。しかも「当局の希望枠」でねじ込まれた選手はみんな足引っ張るしね。ダメなものはダメだといったほうが楽だし、そうならざるを得ないのだが、みんなハジメの顔色見ながらもの書いてるからね。バカバカしい。ほんと、筆折っちまえと言いたい。
それでも試合は続く。明日からはホームでのスワローズ戦だ。なんせ開幕3連戦の内容は酷いものだったが、少しは改善できてるかどうかというところだ。まあ、昨日の試合なんか見てたら、何も変わっちゃいない。相手が点を恵んでくれるか(その典型が火曜日)、あるいは半人前の緩いピッチャーが出てきてくれれば(ジャイアンツ戦がそうだったよね)勝てるが、まあ今のスワローズの表ローテーションでそんなこと期待できるよしもない。要するに、昨日のような野球をやってたらもっと一方的な内容で三タテを喰らうこと、請け合う。
ならばどうするか。もうここは、過去に囚われず、未来を見るしか、方法はない。そう、過去の成功体験との訣別である。
民事訴訟法学の泰斗で法務大臣も務められた三ヶ月章博士は、ドイツの著名な教授の言葉を引いて、「昨日の自己の学説から自由であること」に努めなければならない、という。まさにこの「昨日の自己の学説からの自由」が、なかなか出来ないことである。しかし、それが出来ないと学問の進化がないのと同じく(残念ながら、今の多くの法学者にもそれはあてはまると思う)、どんな人でも「昨日の自己の考え」から自由でなければ、成長できないのだと考える。
今のカープなど、まさにそうではないか。確かに會澤や田中は三連覇の功労者の一人である。だから、三連覇当時にはその力は正義だったのだ。しかし、今は違う。少なくとも彼らはあと数年後には去りゆく老兵なのである。老兵には老兵の処遇の仕方があるのであって、過去の彼らと同じように遇することは、やはり誤りというべきなのではないか。
昨日に引き続いて引用するが、森脇浩司・元バファローズ監督は、その著書「微差は大差」の中で、次のような言葉を残している。この本には本当に含蓄ある言葉が多いのだが、敢えて以下の言葉を新井貴浩とカープファンに捧げる。
「いいものであれ悪いものであれ、我々には、変化に気づく義務があります。そういう意味で、指導者やリーダーにとって一番邪魔になるのは先入観であり、過去です。重要なのは、常に過去を清算すること。決めつけず、必要以上の先入観を持たず、真正面から真摯に向き合うことです。」(163頁)
「「維持は後退である」これは私が常々発している言葉です。」(95頁)