今日は弥生朔日。仕事をほっぽり出し、もちろんカープのチケット狂想曲など軽くスルーして、娘の高校の卒業式で一日費やした。6年前に中学生として入れたはずの学校をもう卒業だから、早いものだと思うしかない。
それにしても、最近の子はみんなドライだから卒業式で泣くことなどないのかと思っていたら、やはり答辞を読んだ子など感極まっていたようだから、その限りでもないらしい。もちろん、生徒たちは後ろ姿しか見えなかったので確認のしようもないのだが。むしろ、それにつられて涙ぐんでいたのは親のほうだったような気がする。
おそらく別れというものを意識する卒業式というのは中学か高校なのだろうが、私にとってはまったく涙とは無縁だった。もちろん中高一貫男子校だったこともある。中学の卒業式はただの通過儀礼だし、高校の卒業式は1月31日だったのだが、もう頭の中は二次試験のことでいっぱいだったから、目先の別れをどうたらこうたらいっていられなかったのだろう。だいいち、私立大学を受ける連中にとっては、2月1日から関関同立の試験が始まっていたのである。
そういうこともあってか、今回の卒業式も、もらい泣きには与さなかった。どちらかといえば、スピーチを聞いてああ緊張してるなというのを思ったくらいである。なんせ私自身緊張しいな上に式事など大の苦手だったから、だいたいいい思い出はない。自分の卒業式の時も、たまたま皆勤だったこともあって式で表彰されたのだが、記念品を右手で受け取ってしまい、校長との握手が左手になったという苦い記憶がある。
さて、今の子がいいなと思うのは、スマホという文明の利器があることだ。カメラですぐにかつ簡単に思い出を残せるし、連絡先はLINEを交換しておけばほぼ永遠に繋がる。私の時代だと、そもそも写真はまだまだお手軽なものじゃなかった(「写ルンです」はあったけど)。また、いまだに卒業式以来連絡が取れないのもいるし、残念ながら卒業式が今生の別れになったのもいる。だからこそ、「でも過ぎる季節に流されて逢えないことも知っている」だったのだ。
まあ、思えば自分の高校の卒業式から35年。その頃には今私がこんな戯れ言をブログなどという媒体で書いていることは想像もつかないことだった(当たり前だ。WEBというもの自体一般化されていなかったのだから)し、まあもっと高尚な仕事をしていると思っていたような気がする。その思いは時の電車に引き裂かれたが、それ以外にはまだまだやりたいことは残っている。そう、カープの「松田家支配からの卒業」だね。
日本は、区切りを付ける卒業式があっていいなぁ。
在留していた国では、5才から始まる初等教育のプライマリースクール、11~16才・中等教育のセカンダリースクール、Sixth formと呼ばれる2年間の大学受験用のコースまで入学式も卒業式もない。それぞれの区切りで、証書なしの簡易修了式は行なうものの、早々に済ませバーベキューやパーティーを行なうのが慣例となっている。教育機関で正式な卒業式があるのは大学と大学院だけ(入学式は行わずガイダンスのみ)。
ま、今時の生徒や学生は、手軽にスマホで永遠に思い出を残せる良さはある一方で、思い出したくないことも残る可能性は否定できない。
自分の場合、世間一般に当てはまらない事ばかりで、胸を張って言えることではないが、一期一会を大切にしたい派なので、ノスタルジックな思いに浸るのは何となく避けている。
気まぐれのキャンパス散策で、手に持つ書籍の趣味が似通っているだけの初対面の人(教員)に話しかけると意気投合することがままある。プロの音楽家と気が合い徹夜で対話するような場面はわんさとある。しかし、大概一度きりの出会いで終わる。一度きりだからこそ新鮮な思いとして残る場合もある。思考が凝り固まらない防止策として、新鮮な出会いは必須だと感じている。気が合うからといって、いつも同じメンバーだけでつるんでいると退屈になってくるし、新しい発見は皆無だろう。
長い間、同級生の間柄だからといって、良好な関係性ばかりではない。同じ空間に居合わせるだけで不快な人も少なからず居る。一旦リセットし腐れ縁を断つ機会として、卒業式は目出度い。