あの緑のスコアボードの下で

毎日毎日カープがどうたらこうたらという話ばかり書いていると息が詰まりそうだから、たまには軽い話を書いてみることとする。いちおうカープとの関連性は、ある。

さて、いまでこそSNSの時代であるもののファン同士の交流というのは容易くなっているのだが、昔、といってもまあ三十年前くらいまでは、その役割を果たしていたのは共通の趣味の人が集まる雑誌だった。そこには必ずペンフレンド募集のコーナーがあったのだ。「週刊ベースボール」にもあったし、私がただの鯉党から真っ赤なカープファンにかわるきっかけとなった「月刊カープファン」もそうだった。

ところで、「月刊カープファン」と出会う前、郵趣雑誌(確か「スタンプクラブ」だったと思う。今はない)のペンフレンド募集コーナーに思い切って投稿して何人かと文通をしていた実績があったので、次はカープファンとの交流をと思って「月刊カープファン」のペンフレンド募集コーナーに投稿することとした。なんせ親族を別としたら周りにカープファンなんて皆無だったのである。できるだけ同世代のカープファンとの交流をしてみたかったのだ。正直ダメもとだったのだが、案外お手紙をいただいたのである。

ところで、どんな書き方をして応募したかは細かく覚えていないのだが、これもダメもとだったのだが、あえて相手を「女性」に限定したのである。決して恋人探しをもくろんだのではない。なんせ男子校だったから、野球の話をする男どもなら周りにたくさんいたのだ。加えて同世代女子との出会いも少なかったので、敢えてそうしてみたのである。事実、手紙のやりとりは結構続けたりしたのだが、いきなり会ってどうこうということはしなかったし、ならなかった。まあ大学に行くまで続けばくらいは考えていたのだが、そうはならなかった。

もっとも、写真の交換とかもしたし、結構マメに手紙は書いた方だと思う。その意味では、疑似恋愛的要素はあったのかもしれないし、それは否定しない。もっとも、ラヴレターめいたことは一切書かなかったし、そんなことしなかったから長続きした相手もいたのかもしれない。今なら、もっとうまくやれるだろうにと思うのだが、それは酸いも甘いもかみ分けたからだろう。

時は流れて、今はSNSの時代。メールが手紙を駆逐し、さらにラインやSNSのダイレクトメッセージがメールを駆逐しつつあるのである。でも、古きを懐かしむわけではないが、あの頃の人間関係もまたよかったと思う自分がいる。自分もSNSを使っているわけであって、それを起点とした出会いもたくさんあるのだが、まさに「言葉だけが頼みの綱」の関係というのも、悪くないのかもしれない。

幸か不幸か、貯金叩いて市民球場のチケットを送ったけれども来なかったなどという悲劇は、起こらなかった。でも、はじめて市民球場のスタンドに立った日、これまで映像でしか見られなかった光景をはじめて目のあたりにしたことに感動した一方で、なんかもの足らない気分を感じたのは、やはりあのときの出会いが続いていたらなあと思ったからに、違いあるまい。

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