「それ行けカープ」が故有馬三恵子女史の「ラブソング」であるなら、山本正之翁のラブソングと言うべきものは「燃えよドラゴンズ!」であることはいうまでもないだろう。その燃えドラを一番多く吹き込んだのはもちろん故水木一郎アニキであって、これはもういいに決まっている。しかし、シングル1枚あたり最も多く売ったのは、おそらくバンちゃんだろう。歌の巧拙でいうならアニキには及ばないが、ファンの心を揺さぶる何かがあるというべきだ。
蓋し、バンちゃんがアニキに勝るとも劣らないものがある。それは、「華」だ。もちろんドラゴンズのエースだった人だし、なにより甲子園のスタアだった人であるし、その後の芸能界での活躍は言わずもがなであって、とにかく「華」がある人なのだ。それが歌の巧拙を越えて(いや、決して下手ではない)説得力を持つところなのである。
およそ歌手になるほどの人であれば、致命的に歌の下手な人はほとんどいないし、それこそドサ回りの演歌歌手であれば歌のうまい人は山ほどいる。しかし、歌がうまければ売れるわけではないのが難しいところであって、自分の個性にバッチリと合う歌に巡り会えるかどうかというところもあるのだが、やはりつまるところは「華」だろうと思う。そしてそれは、鍛えて強くなるものではない。持って生まれた天性と言うべきものだろう。
そしてそれは、そのままプロ野球にもあてはまるのではないか。
プロ野球選手だって、そもそもドラフトにかからなければお呼びでないわけだし、そのためには少なくとも一地方を制圧するだけのヒーローであるはずだ。だから野球の巧拙で言えばみんな飛び抜けてうまいのだ。けれども、みんな平等にスタアになれるというのは幻想に過ぎない。スタアになるためには、やはり「華」が必要だし、「華」のない選手はスタアとは言えないのだ。不公平なようだが、それが現実だ。
だから、「華」のある選手は、全力で伸ばさなければいけないのだ。その中で結果が出せない選手は淘汰されるのだから、その意味では平等だ。これはチームが伸びるために必要な「依怙贔屓」なのであって、これをおかしいというのは悪しき平等思想というべきである。
その意味でカープというのは、まさに悪しき平等思想の天国だ。なにがどうかというのは、まあやめておこう。さんざん書き続けてきたからね。
今日の大本営発表で小園がサードやセカンドの練習をしていたというのでショートにおいてもチーム内競争と言っている向きもいたようだが、まあ頭が弱いんだねと思う。もちろん今の小園は確たるレギュラーと言うにはまだ役者不足だが、そもそも小園がサードやセカンド守らなければならないのはチームにとって緊急事態のときである。その対応方如何を考えるのはむしろ危機管理に属することではないかと思う。
こんな頭の弱い向きは、きっと「燻し銀」という言葉を勘違いしてるかもしれないね。銀を燻すから燻し銀だが、銀を燻したら金色に光るんだよね。だから「燻し銀」なんだよ。黒くくすんだ色を差すんじゃないんだ。残念ながら今のカープの選手って、「燻し銀」というよりは、金色というだけの真鍮がいいところかもしれないよね。






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