十年に一度の寒波とやらで昼過ぎから激冷え、広島の町中ですら「風雪ながれ旅」状態の雪が舞っていた今日。凍れる夜になって悲しい知らせが届いた。南海ホークス最後のスタアといって過言ではない、門田博光翁の訃報である。74歳というから、まだまだ早いといいたくなる。少なくとも天寿を全うしてという感じでは、ない。
またその旅立ちかたも、いささかもの悲しい。何らかの病を得てその治療のために相生市に居住していたようだが、1月23日に予定されていた通院治療に現れず、自宅に行ってみたら倒れていたということらしい。問題はその倒れていた原因なのであって、病の悪化なのか、それとも自ら命を絶ってしまったのか、まったく分からないが、いずれにしても悲しい話である。先だって急いで旅立ってしまった村田兆治翁もそうだが、一代を築いたスタアがこんな形の最後になってしまっているのが残念でならない。
門田博光という選手については、おそらく語られ尽くしているところだが、そんな紋切り型の評価では収まらない人だと思う。求道者、という一面があることは間違いないのだが、きっとカドさんならプロ野球選手である以上当たり前のこと、というかもしれない。むしろ、敢えて言わせていただけるならば、素顔は面白いおじさんだったのかもしれない。1993年にABCの解説者に収まり、そのときは関西在住だったのでよく聞いていたのだが、実に飄々としていい味を出していた。きっとノムさんとは合わなかっただろうなということが、まあノムさん自体が実は裏表ある人ではあったのだが、ある意味分かったのである。
敢えて私小説的に書かせてもらうならば、私は1985年1月5日、当時南海ホークスのスタア候補生の一人だった久保寺雄二の急死の報にショックを受け、パシフィックは南海ホークスを応援すると決めては見たものの、その頃の南海は往時の姿見る影もなく、スタアらしいスタアはカドさんしかいなかったのである。本当に、南海の選手として全国的に名前が通っていたのはカドさんとドカしかいないといって過言ではない。いや、一番名前が売れていたのは景浦安武だったかもしれぬ。そんな時代を見てきただけに、やはりカドさんには思い入れがあるのだ。
まあ、私が年を取ったということは、私が子どもの頃に見てきた人が鬼籍に入る可能性が高いということではある。南海でカドさんの上司だった人は、広瀬叔功翁を除いて鬼籍に入ってしまったし、オリックスブレーブス時代の上司のウエさんやそれなりに名実ともに南海を支えてきたドカも天上界にいる。そんな時代なんだろう。
それにしても、今回の訃報にはやりきれなさが残る。なんでこんな寂しい旅立ち方をしなければ行けなかったのか、まあ今言っても詮無いことではあるのだが、やっぱり、悲しい。






コメントを残す