反省しないと強くなれない。

天皇杯の試合終了後は、ぐったりとしてひと風呂浴びるまで頭の中が整理できなかった。しかし、ようやく出した結論は、負けるにはそれなりの理由がちゃんとあるという当たり前のことだ。

もちろん、PKを外した満田と川村には何の責任もないし、PKを止められなかった大迫など責任とは無関係だ。PKなんて運だとしかいいようがない。なんでもPKを止めた相手のキーパーはでたらめに飛んだなどという意味のことを言ったらしいが、しょせんJ2下位のチームらしい言葉であって、大迫とは背負っているものが違いすぎるんだなとしか思わない。

この試合でもっとも反省すべきは、前半の試合内容だろう。はっきり言って、悪すぎた。なにを狙ってなんのためにプレイをしていたのかがまったく見えなかった。相手を過剰に研究していたのか何も考えていなかったかのどちらかなんだろうが、まったくいただけない。失点もミスとまではいわないが防げただろうと思うのであって、これぞ今日の最大の敗因である。

それでも、スキッベはさすがだった。後半すぐに投入したエゼキエウとベン・カリファが間違いなく流れを変えた。エゼキエウのトリッキーな動きとベン・カリファへ単純に当てるプレーが入っただけで確かに相手守備は混乱していた。それだけに、前半のあの停滞しきった攻守が残念なのである。これを反省しないと、きっと土曜日のYBCルヴァンカップ決勝でも、同じ轍を踏むだろう。

試合終了後、満田と川村は責任を背負って泣いていたが、もちろん前述の通り責められない。逆に佐々木翔のサバサバとした表情が印象的だったが、彼はきっと敗因を分析できていたからに違いない。中にはなぜ全員悔し泣きしないのかという趣旨のことを言ったとんちんかんな人もWEBで見かけたのだが、そういう人はこの試合の敗因が理解できていないからに違いあるまい。それに、こんな試合で全員悔し泣きしたら、より一層象徴的な原因を残したようにみえる満田と川村にショックを与えるだけだ。

野球の世界で最終的に結果を残し、毀誉褒貶ありつつも一昨年天に召された人は、「負けに不思議の負けなし」という言葉を残したが、これはやっぱり正しい。今日のサンフレッチェの敗北も、やっぱりちゃんと理由がある。それを反省しないと、本当に強くなれない。これまで積み上げてきたカップ戦シルバーメダルの時は、それを反省しないまま漠然と翌年に入ったから結果的に強化に繋がらなかったんだろうと思う。幸いに今年は違う。土曜日にもう一度カップ戦ウィナーを賭ける戦いが待っている。今度の相手はリーグ戦でも順位が近い。今日など比べものにならない厳しい戦いが予想されるが、かえってやりやすいかもしれない。

それに、スキッベは確かに名将だ。今日の敗北を、むざむざ無駄にしないだろう。今日負けたからこそ、週末の捲土重来に期待したい。

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コメント

“反省しないと強くなれない。” への1件のコメント

  1. Иван Ивановичのアバター
    Иван Иванович

    ~反省と内省の違い~

    「反省」とは、誤った考えや言動を振り返り、必要に応じて周囲に知らせる行為。 一方「内省」とは、あくまで自ら気付きを得ることを目的に、客観的な視点から自己の言動を振り返るため、そこに自己批判的な意味合いは含まれない。
    「反省会」は大方の人が経験していると思われるけれど、反省にメリットはない。反省は鬱の原因になる。反省会は批判の応酬になるケースが多々あり気持ちが萎えるだけ。特に自己批判は、共産圏での思想矯正の道具である。日本でも革マルや赤軍派の極左が仲間に自己批判を強要し拷問死させる等、ネガティブな印象しかない。

    副業でコンサル業務に関わっているけれど、今時「反省」を強要する企業はブラックと言わざるを得ない。反省ではなく効果的な内省を行うコツを顧客にお伝えしている。

    少し前にコメントした内容のリピートになるけれど、監督になる前の吉井理人投手コーチの役目は、選手との深いコミュニケーションで「振り返り」という作業が中心になるという。これがいわゆる「内省」であり「気付き」を得ることを目的としている。吉井は筑波大学大学院で野球コーチング論を研究し修士の学位を授与されているので、「内省」と「反省」の違い、そのメリットデメリットをよく理解しているのだろう。

    流行に乗って、「内省」伝達のコンサルをしているわけではない。私が中学の頃には「反省」にはデメリットしかないと気付き、反省を強要する教師が大嫌いだった。ある時、君たちのクラスの英語模試平均点が他のクラスと比べ10点以上も低い。平易な問題にも関わらずこんな低いスコアでは旧帝大医学部合格はおぼつかない。なぜこうなったのか今から「反省会」を行なう。まず君から、と当てられたので、「お前(英語教師)の質が悪いことが最大の原因でしょうね。間違った英語表現も多々ありますし」。という内容を英語のナチュラルスピードでまくし立てると英語教師はポカンとしている。Pardon?と教師は聞き返してきたので、先生、ネイティブはPardon?なんて使いません!What did you just say?簡略化しWhat?でいいのです。「反省」して平易な表現ぐらい使える英語を教えてくださいよ!と反撃してから「反省会」はなくなった。こうやって「反省」というものは、批判の応酬や個人攻撃の温床になり、おおよそメリットがあるとは考えられない。

    まあこれは、あくまで個人の感想なので「反省」することが時代錯誤じゃないとお考えになられている方を全面的に否定するつもりはありません。イライラなさらないよう願っております。

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