商品はゴミ、ファンは狂宴。「もの作り」の視点から切るカープの商品価値暴落とネオ・球界再編の足音

おもひで

何かを作って売るという「もの作り」の厳しさは、嗜好品や興行の世界においてより顕著となる。どれほど質の高い製品であれ市場に選ばれねば淘汰され、逆に粗悪な品が一時としてもてはやされることもある——この過酷な市場原理から、プロスポーツだけが例外であり続けることなどあり得ない。
自閉的な物語消費に終始する信者層の狂宴、ライト層を排斥する異様な応援文化、そして暴落し続ける「カープ」という商品の実効価値。「ネオ・球界再編」という逃れられない構造変化と広島という都市の地盤沈下を前に、興行の本質を見失ったクラブが辿る破滅の足音を冷徹に予言する。

【商売の本質】「もの作り」と興行の難しさ

私の父は国鉄職員、母はピアノ講師だったから、いわゆる「もの作り」という文化に触れて育った経験はほとんどない。敢えて挙げるなら、母方の祖母が広島県府中市で「ニコニコ饅頭」という大判焼き屋を営んでいたことくらいだ。産業分類としては第三次産業に入るのだろうが、夏場は休業するとはいえ毎朝早くから餡を練り、生地を仕込んでいた姿を思い返すと、なかなかに骨の折れる仕事であったことは今ならよくわかる。

「もの作り」という第二次産業に限らず、何かを製造・創出し、それを人様に買ってもらうという行為は本来きわめて過酷なものだ。どんなに作った物自体の質が高く評価されるべきものであっても、買ってもらえなければ話にならない。市場で選ばれなければ評価すらされないのだ。そして、その逆もまた真である。どれほど粗悪でクズのような物であっても、売れてしまえば、あるいは世間に膾炙してしまえば、それなりの評価を獲得してしまうことがある。

特に嗜好品の領域においてはその傾向が顕著だ。私はグルメと呼ばれるほど上等なものを食べ慣れているわけではないが、世間でいくら評判が高くとも自分の口には合わない料理はあるし、中には「これでこの対価を取るのか」と呆れたくなるものもある。音楽の世界も同様だ。やしきたかじんの全盛期の楽曲など、実に丁寧に磨き上げられた名曲が揃っていたが、興行的に大成功を収めたとは言い難い。逆に現在流行している某グループなどは、なぜあれほど売れているのか理解に苦しむほど私には響かない。少なくともレコード大賞を3度も受賞するような器量ではないと感じている。

それほどまでに「物を売る」という営みは難しい。私はこうして日々の雑感や論考を文章として書き連ねているが、これらをまとめて「一冊の本にしろ」と言われたら即座にお断りする。そんな自信がないというより、単発の記事を書くことと一冊の書籍を組み上げることとでは、求められる役割が根本から異なるからだ。しかし出版界を見渡せば、「よくこんな内容で出版できたものだ」と眉をひそめたくなる本が散見され、それが実際に売れてしまったりするのだから商売は難しい。

【興行の構造】コア層の独善が招くライト層の排除

話をプロスポーツへ転じるが、これを単なる「スポーツの要素」だけで捉えると本質を見誤る。そこには不可避的に「興行」という要素が介在している。興行である以上、スタジアムへ足を運んでもらわねばならず、少なくともメディアを通じて高い視聴率を獲得できなければ成立しない。ならば、いかにして新規の観客へ訴求し、ファンの裾野を広げていくかという戦略が不可欠となる。

カープファンの中に多く見られる致命的な錯覚は、「いかにコア層へ訴求するか」ということばかりに拘泥してしまう点だ。少し考えればわかることだが、コア層などというものは放っておいても勝手に付いてくる。ファン層の拡大のために知恵を絞るべき対象は、どうやってライト層を取り込むかというアプローチのはずだ。その方法論は一つではない。魅せ方の工夫や、スタジアムに人を惹きつける演出上の仕掛けも大切だろう。しかし、最も根幹となるのは「チームそのものが強く、魅力あるプレイを見せること」以外にない。

ところが、ある種のカープファン——敢えて「信者層」と呼ばせていただくが——の思考回路は完全に狂っている。彼らは自分たちだけが満足することのみを球団に求め続けているのだ。その要求が「チームの勝利」や「強さ」に向いているのであればまだ救いようもある。だがどうやら彼らの関心はそこにはない。彼ら内部でのみ通用する閉鎖的な物語に浸り、それを満たすことだけをひたすらに要求しているのである。

彼らがそうした主張を勝手に囁き合っているだけであれば、まだ放置することもできたろう。声が無駄に大きいため鬱陶しくはあるが。だが彼らの最も罪深い点は、その独自の価値観や物語を他のファンへ強制しようとする態度にある。だからこそ、ライトなファン層が嫌気を差して離れていくのだ。はっきり申し上げるが、現在のマツダスタジアムにおけるパフォーマンスシートなどに私は足を踏み入れる気すら起きない。あそこは珍妙な装束で奇妙な応援を繰り広げる信者層の独善的なステージと化しており、異様な空間が繰り広げられているとしか思えないからだ。

【市場淘汰の予言】「値つかずの商品」とネオ・球界再編の波

然るに、現在の広島東洋カープという球団の商品価値は完全に底値、いや「値つかず」の状態にまで暴落している。勝利に向けて最善を尽くすこともせず、規律も弛緩しきったゴミのような選手群が繰り広げるおままごとのような野球を、一体誰が好き好んで観たいと思うだろうか。にもかかわらず、パフォーマンスシートにおける狂宴は何事もなかったかのように続いている。何を目にすればあの無惨な現状を肯定できるのか、私には到底理解できない。

そもそもカープ球団が市場に提供している商品は、何から何まで質の低いものばかりだ。ペラペラの安物Tシャツから実用性に欠けるグッズ、新奇性の欠片もないノベルティに至るまで、主力商品である「カープ」というチーム自体とそれを構成する選手群の惨状を見れば、その質の低さは火を見るよりも明らかである。このような粗悪な商売を通常の市場で続けていれば、遠からず淘汰されるのが当然の理であり、それこそが真の資本主義というものだ。

市場からの淘汰は、まさにこれから本格化するだろう。広島という地域に固有の「カープという物語性」がいつまでも通用すると高を括っているのは、頭のおめでたい信者層だけだ。やがてそうしたローカルな物語を押し潰すように、「ネオ・球界再編」の大きな波が押し寄せてくるに違いない。現在ファームリーグで試行されているような3地区2リーグ制、すなわちMLBに近いシステムへの移行や、厳格なカテゴリー制が導入された場合、この球団はどうなるか。

そう遠くない将来、カープという存在は球界から消え去るか、仮に残ったとしても「永久に優勝できない最下位固定のゴミクズチーム」として嘲笑の対象であり続けるだろう。その時、あれほど威勢の良かった信者層の皆様はどうされるつもりなのだろうか。ライトなファン層の後を追うように、何事もなかったかのようにそっと去っていくのだろうか。そして、信者層の中でも最も罪深いコア中のコア層による空しい讃美の声とともに、カープは沈没していくのだ。広島という都市自体の構造的な地盤沈下とともに。

都市の栄枯盛衰とクラブの運命は、常に不可分である。「カープという物語」に甘え、質の低い商品と閉鎖的な空間を提供し続けてきた代償は、市場からの淘汰という最も残酷な形で支払われることになるだろう。
真の資本主義がもたらす構造変化の波——「ネオ・球界再編」が訪れた時、そこに残るのはかつての栄光ではなく、空しい讃美歌とともに沈みゆく泥船と、取り残された都市の静寂だけだ。信者層が現実から目を背け続ける間にも、カウントダウンは着実に刻まれている。

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