甲子園決勝で見えた「余計な力を抜く」という技術
昨日行われた高校野球夏の選手権決勝戦、終盤の死闘を画面越しに見届けた。ちょうど智辯和歌山高校が土壇場で試合を再度ひっくり返した局面である。その中で強く印象に残ったのが、中谷仁監督の仕草だった。追い込まれた打者に対し、自身の両人差し指で口角を指さしながら「笑顔、笑顔」と声をかけていたのである。監督自身、現役時代にプロの世界で苦労と辛酸をなめ尽くした人物だけに、その言葉と表情には計り知れない重みが宿っていた。
プロのトップアスリートであっても、勝負を分ける極限の場面でリラックスすることは極めて難しい。中谷監督が伝えたかったのは、要するに「余計な肩の力を抜け」ということだったのだろう。かつて西田真二が選手権決勝の9回裏二死、1点ビハインドという絶体絶命の土壇場で、フルスイングをかました後に「にやっ」と笑ってみせたという故事がある。そこまで腹を括れる高校生など滅多にいないが、中谷監督がそのエピソードを意識していたかは別として、勝負どころで余計な力みを削ぎ落とす実に的確な指示であった。
「不敵な笑み」が生む緊張と緩和のバランス
もちろん、背負うものの重みが違うプロと高校生を同列には語れない。プロフェッショナルたる者、グラウンド上で安易に笑みなど浮かべるべきではないという見解もまた正論だ。現状のカープのように無様な惨状を晒している中で、ヘラヘラとニヤついている選手がいたら怒りを通り越して正気を疑う。しかしその一方で、強打者が勝負どころで見せる「不敵な笑み」というものが存在するのも事実だ。それは弛緩ではなく、張り詰めた「緊張」の隙間に生まれる巧みな「緩和」の技術と言える。
翻って、いまのカープの選手たちはどうだろうか。極度の緊張に呑まれて身体がガチガチに硬直しているか、あるいは緊張感そのものを失って弛緩しきっているか、そのどちらかの極端に振れている気がしてならない。昨日のプレーを見ても、ファビアンやモンテロなどは肝心な勝負どころで完全に肩に力が入っていた。「陽気なドミニカン」というステレオタイプで括られがちだが、彼らは案外、根が真面目すぎるがゆえに過度の緊張に押し潰されているのではないか。
硬直と弛緩——悪循環に陥るチームと指導陣の役割
その一方で、菊池涼介や坂倉将吾らのプレーからは眼光の鋭さが消え失せている。菊池の表情は完全に弛緩しきっており、坂倉の視線に至っては明後日の方向を向いたままだ。これでは結果など出るはずもない。小園海斗の二軍降格だけを捉えて溜飲を下げている一部のファンは、彼らのこの無気力な現状をどう見つめているのだろうか。どうせ大した深慮もなく眺めているのだろうが。
こうしたベテランや主軸の「硬直」と「弛緩」は、実績の少ない若手に対して害悪でしかない。緊張は若い選手を余計にガチガチにさせ、無頓着な緩和はただ気が抜ける方向へと導く。名原典彦や辻大雅のように、気合いと根性を前面に出すタイプがいるのは救いではあるが、一歩間違えれば過度の緊張へと自らを追い込む危険も孕んでいる。だからこそ、いまのチームには「いい塩梅で肩の力を抜けさせる」ための指導が不可欠なのだ。
そうした役割を果たせる人材はコーチ陣にいないわけではない。現役時代に経験を重ねてきた赤松真人や、飄々とした佇まいでプレーしてきた福地寿樹、酸いも甘いも噛み分けてきた菊地原毅などは、力を抜くことの重要性を最も説得力をもって語れるはずだ。しかし、それが現在のチーム結果として結実していないのが実に歯がゆい。
すべてはチーム全体に暗い影を落とす「エトミデート疑獄」の余波ゆえだろうか。下手に笑みを見せれば「緊張感がない」と叩かれ、かといって集中を装えば過度の硬直を生むという最悪の悪循環。そう言えば、羽月隆太郎などは、ある意味チームに緩和をもたらす存在だった。その不在もまた、良くも悪くも今のガチガチに冷え切ったベンチの空気に拍車をかけているのかもしれない。
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