三連休の最終日、スパシーレ祇園の湯に身を沈めながら、私はこの街との決別を静かに、そして決定的に固めた。老害政治と松田元の独裁体制が支配する広島は、もはや沈みゆく泥船に過ぎない。不祥事に目を背け「カルト教団」と化した一部信者層の閉鎖性に冷ややかな見切りをつけ、この地を脱出する。
三十余年の幻滅を経てたどり着いたのは、ホークスファンとしての原点回帰と、息のしやすい関西での新たな暮らしだ。娘の門出に合わせ、愛するサンフレッチェをアウェイ席で見守る未来を描く——。一人の個人が「自分の呼吸ができる場所」を取り戻すための、冷徹にして解放に満ちた離脱の記録。
【静かな泥船】スパシーレ祇園の湯で固めた、広島との訣別
三連休の最終日、別段なすべきこともなかったため、スパシーレ祇園で風呂に浸かり、帰宅後はそのまま静かな昼寝を決込んだ。こんな過ごし方をすれば翌日からの仕事に差し支えそうなものだが、いまの私にとってはどうでもいいことだ。別に不良社員を気取っているわけではない。目の前の職務は完璧に仕上げるのが私の主義であり、決して手を抜くつもりはない。ただ、私の心がすでにこの場所から遠く離れてしまっているのは、確かな理由があるからだ。
結論から言えば、私はこの広島の街を去る意志を固めた。もちろん、現在の職を辞することになる。無策で飛び出せば食い詰めてしまうから、しかるべき手順を踏んでの離脱だ。具体的な時期はこれからだが、遅くとも第一の区切りである60歳までには、いや、もはやそれすら待てない自分がいる。一日も早く次の足場を見つけねばならないと、焦燥に似た念を強めている。
現職に対する鬱屈については、これまでも散々触れてきた通りだ。「こんな組織でやっていられるか」という強い思いは消えないし、実際に退職した折には、守秘義務に抵触しない範囲でその内実を明かしてみたいとも思っている。しかし、単に職場に嫌気が差しただけなら、広島市内に留まって転職すれば済む話だ。私がこの地を後にしようと決意したのは、それ以上に「こんな街にこれ以上居座る筋合いはない、ここには私のいるべき場所がない」という冷ややかな思いが限界に達したからである。
広島県・広島市という構造が、もはや滅びゆく泥船に過ぎないことは過去にも論じてきた。私はその泥船に好んで乗り合わせる気などさらさらないし、一緒に沈む気も、ましてや沈ませまいと無駄な骨折りに奔走する気もない。Gerontocracyに塗れた遅れた都市を維持するための歯車として利用されるなど、忌々しいことこの上ないのだ。
【独裁の影】「カープ教団」の閉鎖性と、周縁に蠢く信者たち
カープ球団に関しても、松田元の代替わりこそが「広島からカープが消滅するXデイ」の始まりだと指摘してきた。当時はエトミデート疑獄など露知らず書いたことだが、現在進行形で蠢くこの不祥事が、その醜悪さをさらに浮き彫りにしたと言える。一連の泥沼劇で見えてきたのは、現代の独裁の一形態である松田元支配の不気味さと、そこに群がり思考を停止させた一部ファンの悍ましさだ。彼らの姿は、もはや独裁国家の狂信的な人民を笑えない域に達している。
もちろん、全てのカープファンがそうでないことは百も承知している。在広のまっとうなファンの大半は、この無残な現状に愛想を尽かし、すでにスタジアムから足を遠のけ、中継を追う習慣すら捨てているのが冷徹な事実だ。しかし、WEB上の言説に目を向ければ、目に入る8割方は信者ファンであり、中にはカルト層と呼ぶべき向きが確実に存在する。特にX(旧Twitter)の言論空間の酷さは目を覆うばかりで、浅薄な擁護を垂れ流す層の知性を疑わざるを得ない。
この現象の根底には、広島という都市が抱える悪しき土着性、閉鎖性、そして懐古主義的な復古性があると見ている。都市の中心から遠く離れた周縁であればあるほど、昔ながらの体質が良い面も悪い面も原形のまま濃縮されて残っていく。かつてのカープファンが持っていた負の遺産が、いまやWEB空間という閉鎖領域の中で純粋培養されているのだ。
【関西への還流】ホークスへの回帰と、アウェイ席で愛するサンフレッチェ
かつて私が広島という地に結びつけられたのは、受験政策上の理由が主だったが、そこにカープという「一押しの魅力」が存在したことも事実だ。しかし、それから三十余年が経過し、手元に残ったのは募る幻滅ばかりであった。いまや球団そのものに対しても決定的な諦念しかない。その心の空白を埋めるように、私は約30年ぶりにホークスのファンクラブへ入会した。来季からはホークスファンとしての立場を色濃く押し出していくつもりだ。南海ホークスメモリアルのような催しが再び開催されるならば、喜んで千代崎の地に馳せ参じたい。
早ければ来年中にも、関西への移住を果たしたいと考えている。折りしも来年は娘が社会人としてスタートを切る年にあたる。彼女もまた関西でキャリアを始める意向のようだから、時期としては絶好のタイミングだ。この4年間、関西と広島を往復するたびに、あちらの空気を吸うだけで「ああ、帰ってきた」という安堵感を覚えてきた。自分に合った皮膚感覚は、誤魔化しようがない。
来期のカープがどのような惨状を呈するかは知ったことではないが、この層の薄さではもはや「危機バネ」すら機能しまい。その主犯が松田元であることは明白であり、私は長年指弾し続けてきたが、信者層は流されるプロパガンダを無邪気に信じ込んでいる。つける薬がないとはこのことだ。だからこそ、この街を去るにあたって後ろ髪を引っ張られる思いなど、何一つ存在しない。
唯一の心残りがあるとすれば、愛着あるサンフレッチェ広島の存在だ。しかし、考えようによってはプラチナチケット化するエディオンピースウイング広島に固執するより、万博、長居、ノエスタなどのアウェイ席で、ゆったりと紫のユニフォームを追いかけるのもまた乙なものであろう。京都のサンガスタジアムへ足を延ばすのも、決して悪くない。
もっとも、このような与太話をこねくり回している暇があるなら、一刻も早く次の職を確定させねばならない。住まい探しも一筋縄ではいくまい。家族での移転、ましてや娘との同居となれば、彼女のこだわりとそれに肩入れする妻の存在によって、家探しは難航を極めるはずだ。定期検査を要する心臓の持病もあるため、信頼できる循環器内科の確保も急務となる。
いずれにせよ、松田元、そして病魔に侵されながらも権力への執着を隠さない松井一實市長の両名を打倒すべく、心の中で刃を研ぎ続けるのみだ。もし来年の広島市長選で、あの不誠実な会見を経てもなお松井が再選するようなら、私はこの街の住人を徹底的に軽蔑するだろう。そのような土壌で松田体制の解体など望むべくもないからだ。さらば、泥船の街。私は私の呼吸ができる場所へと、静かに脱出を図ることにする。
老害政治と独裁体制に侵され、自浄作用すら失った街に未練など微塵もない。心残りであるサンフレッチェの存在すらも、アウェイ席でゆったりと紫のユニフォームを追う楽しみへと昇華させればいい。
次の職探し、娘や妻との家探し、そして持病の病院選びと、乗り越えるべき現実は山積みだ。だが、自分に合った空気の漂う場所へ帰ると思えば、その苦労すらも心地よい。松田元と松井一實という二大独裁への怒りを胸に刃として研ぎ澄ましつつ、私は静かに、そして確実にこの泥船から脱出を果たす。さらば、広島。私の人生の次の章は、もう動き出している。
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