この標題を見てピンと来たカープファンの方は、だいぶん前の世代の方かもしれない。いうまでもなく、2005年オフに監督に就任したマーティ・ブラウンがバイブルとして薦めた本の題名である。もともとはアスレティックス(ただし、有名になった「マネー・ボール」より前の話である)のチームスタッフであったドルフマンとキュールの共著であって、かなりの影響を与えた本らしい。
邦訳も出ているのだが、その題名「野球のメンタルトレーニング」というのはいささか気に入らない。これだと原題の味が出ない。まあしょせんは翻案本なのでどうでもいいし、直訳すると面白みがなくなるのは確かだ。役者は英語のプロフェッションではないようだからやむを得ないが、どうせ大修館書店から出すならもっと現題を活かした面白い題にしてもよかったと思うけれども。
で、実は私、もともとマーティの治世の時代にペーパーバック版の原書を手に入れた。が、とても読み切れなかった。もちろん語学力の限界もあるのだが、実はこの本むちゃくちゃな大部なのである。なので、手が付けられなかったといえば良いのか。一念発起してもう一度挑もうとしたら、今やむちゃくちゃ値上がりしている。しかたがないので、前記の邦訳版を手に入れた。ざっと目を通したが、まあ私のような素人向けにはこの程度で良いかとも思う。
まだざっとしか読めていないが、残念ながらこの本がカープに与えた影響は皆無かもしれない。そこにはマーティがルーツのようなエネルギー溢れる革命家ではなかったこともあるだろう。そもそもそうだったらハジメはマーティを監督には擬さない。しかし、この本の推薦者には駒澤大学の太田誠監督がいるのだから、そのあと監督に擬せられた野村謙二郎が発展的に導入してもよかったと思う、まあ、野村の頭では無理だが。
そういえば新井貴浩という人も確か駒澤だったはずだが、影響を受けるところはなかったのだろうか。新井もまた太田監督の下で育った選手だし、野球におけるメンタルの重要性をもっとも身に沁みて感じているひとりであるはずだ。しかし、それを今の選手に還元しているという話には、寡聞にして接していない。福地寿樹にも新井良太にも朝山東洋にも分からない高みを知ってるはずなのに。
その意味では、今この本を読むべきは新井貴浩自身かもしれない。新井貴浩は理屈ではなく情だけの人というのは承知しているが、それだけではカープはボロボロになる。幸いにこの本は眠たくなりそうな理屈ではなく、全て実践的に説き起こされているから、新井にだって分かるだろう。なんだったら西村通訳の力を借りて、英語版をダイジェストで学ぶという手だってあるだろうし。
なんか話が何処に行くのか分からなくなってきたが、やっぱり野球というのはメンタルが物を言うスポーツであるということは、カープ自身が見せてくれているではないか。いうまでもない。エトミデート疑獄でカープの選手はてんでバラバラボロボロになりつつある、連座したであろう選手は目が死んで刑の執行を待つ囚人の如き表情を、そうではない選手は選手で連座した選手が使われることの疎ましさと無力感を顕わにしているではないか。これだけ見ても、決して羽月隆太郎だけの事案と思えない証左である。
一部邦訳版から引用すると、第5章に「野球選手の責任感」という項目があって、その中に「野球選手として望ましい責任のとり方」として「自分の人生に対して自分で責任がとれる」とある。自らの野球人生をまっとうに考えたら、エトミデート疑獄に連座するなどもってのほかである。その程度の責任感のない選手が、グラウンドに立っているのである。ほんと何考えてんのかと思う。
何も考えてないんだろうな。何も考えてなかったんだろうな。今ごろ捜査網が狭まって恐れ戦いている向きもいるやもしれない。そんな彼らにはもう遅いのだが、エトミデート疑獄に連座していない選手たちには、新たなモチベイションづくりのために、邦訳本でいいから読ませるべきではあるまいか。といえより、読ませよう。
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