ある鯉党のたはごと2026その1;酒でも呑まなきゃやってられない

スポーツ

酒は憂いを払う玉箒、百薬の長ともいわれる一方で、過ぎると命を削る危ない水でもある。酒で命を縮めた人は枚挙にいとまがない。去る1月21日は横山やすし忌だが、彼などまさにその典型だろう。もともと酒好きだったのだろうが、最後の方は自分のキャラというかギミックを守るために酒に溺れたところもあったのだろうか。思えば三遊亭小圓遊翁もそうだったという。

そんなことは先刻承知だし、私は根が甘党だから呑まなきゃ呑まないで一向に構わない。でも、理由なく無性に呑みたくなる時がある。自分でも分からないが、ことに最近その頻度が増えた。残念ながら昨年末の病のせいで酒はごくごく控えているので毎日吞むわけにはいかない。しかし、吞みたい気分に駆られることが多いのだ。

かつてはだいたいその理由は仕事だった。ことに思うに任せないときにはその頻度が増え、酷いときには外食全てが外呑みだったこともあった。今はそんな無茶はできないのだが、本当に今無性にそれがやりたい。しかし仕事が原因ではない。仕事はまあ嫌なことはあってもすぐ忘れられるというか、そもそもどうでもいいと思っている。好きなことだけ一所懸命やればいいさと社に構えている不良戦士といえばよいか。

バブル景気の時代、私はその頃高校生から大学生であったわけだが、それこそ24時間戦えますかの世界だった。吞みもまた仕事の一環の時代だったようである。バブル期ではないが私はそういう世界に身を置いたことがある。一種のランナーズハイで、その頃は充実していたような気がするが、その反動は重かった。今でもそれを引きずっている。一方で、世間に対する醒めた目、一歩引いて俯瞰する目が養われたような気がする。

それを格好良く言い直すと、まあ諸行無情となるだろうか。祇園精舎の鐘の声、である。だから、いかに威張っていようが権勢を振るっていようが、いずれは滅びるというひとつの信念がある。かの御堂関白も「望月の歌」を歌ったころには体調を害しており、十年も経たずに亡くなった。あの歌もいろいろな解釈が可能で、望月は欠けるが定めを悟っていたという説もある。

そう、いかに今権勢を振るっていようが、やがて没落する日が来るのである。権勢を振るっている物こそ、引き際を大事にしなければならないのだと思う。残念ながら独裁権力を握っている者はそれを理解できない、いや意図的に無視する。広島における松田元とその一派や盆暗首長なんかその典型だ。湯﨑秀彦?ありゃ敵前逃亡って言うんだよ。松田元なんてその意味では領導様の国の王様並みだ。あるいは現代におけるCeauşescuといってもよい。

私はカープファンなんかやってるが、私にとってカープというのは確かに全てである。カープ中心に生活リズムが回ってきた節があるから。でもカープはゼロでもある。もはや社会的価値はないに等しい。というのはSieyésの書きぶりの真似である。しかし、残念ながら広島においてはハジメ神権帝国の神州不滅を信じて叫んでいる向きが多いことには驚かされる。

結局酒を飲む話はどうなったんやといそうだが。だからこそ今酒が無性に吞みたくてたまらないのである。まだまだ夜は冷えるから夜遊びは控えたいが、3月末には盛大にやりたいと思う。開幕第2戦ころを期して大反省会をやれればと思っている。きっとその頃にはカープはボロボロになっているに違いない。もはやカープファンを名乗ること自体恥ずかしくなっているだろうから。そのXデイは、着々と近づいている。案外早いかもしれない。

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