10月15日。古いカープファンの方は1975年のこの日、すなわちカープ悲願の優勝記念日として刻まれているだろうが、私にはもうひとつある。何度も書いたが、南海ホークスが最後のホームゲームを大阪球場で開催した日、すなわちラストセレモニーがあった日として、である。
1988年、当時駿台予備校京都校に通っていた私は、当然難波に飛んだ、と言いたいところだが、なぜか講義をすっ飛ばしてまでその空気に浸る気になれなかった。妙に真面目というか義理堅いというか、というよりその年自体私は気が重くてなぜか躊躇してしまったのである。
でも実はその2週間前、10月1日にある講義の休講があったのを契機に難波に飛んだ。そして試合を見た。結果は負けだったが、そんなことはもはやどうでもよかった。負けたのでいわゆる応援団の「二次会」もなく、静かに地下鉄のなんば駅に向かったのだが、涙が出そうで振り向くことがままならなかった。もし10月15日に難波にいたら、立ちすくんで帰れなかったかもしれない。
それでも私は講義が終わると自転車をすっ飛ばして堀川通を上り、上賀茂朝露ケ原町にあった寮に戻った。寮はテレビがなかったので、NHKラジオでセレモニーまで聞いた。その時に感じたのは、本当に無常感、形あるものはすべていつか壊れるという思いしかなかった。鶴岡親分のあいさつがあり、「南海ホークスの歌」のペットソロで球団旗が降納されたところで記憶が止まり、夢から覚めたのは10月19日の午後3時だ。
思えばあれから37年。干支が三廻りして私も56になった。京都に根付くはずだった私はなぜか翌年広島に縁ができてしまい、ついに赤穂市民であった年数を抜いてしまった。以後由緒正しきよそ者広島人まっしぐらなのであるが、そのことが悪かったとは思っていない。むしろ私は広島で救われたと思っているし、その意味の恩義はある。
で、話をカープに変えると、V1記念日である今日は、大本営発表下付機関である中国新聞も趣向を凝らして1975年カープの歩みなど載せていた。そのことはもちろんどうこう言うべきものではないが、而して今のカープはどうなのかという視点は全く無い。はっきり言って、草創期や「失われた二十余年」をも上回る危機的状況であるという現状認識がまるでないのが哀しい。
V1の種を蒔いたジョー・ルーツは、選手を集めた最初のミーティングで「君達ひとりひとりの選手には、勝つことによって広島という地域社会を活性化させる社会的使命がある」と説いたという。そして古葉竹識監督もそれを引き継ぎ、黄金時代を築き上げた。しかし、それは今ハジメにより明確に否定されている。全てはハジメが儲けるために働けと言わんばかりだし、それを肯定するバカープファンもいるから呆れる。
はっきり言わせてもらう。勝てないチームなんてクズだ。そんなチームにプロでございというべきレゾンデートルはない。いや、勝負事だから運が向かなければ勝てない年だってある。しかし、それが続いているようでは何かが間違っているのだ。ましてや、勝利を目指さないチームなんて敗退行為を粛々とやっているだけだ。そんなチームは消えてなくなるべきなのだ。
私は南海ホークスを失い、その後に贔屓にした大阪近鉄バファローズを失っているから、贔屓チームがなくなることの喪失感、無常感は嫌ほどわかっている。しかし、そんな私でさえ、今のカープにレゾンデートルを見出すことができない。こんなクソ球団消えてなくなってしまえと割と真剣に思っている自分がいる。
それを否定したけりゃ、勝て。優勝してみろ。日本一を取ってみろ。ハジメ流強欲資本主義はもうたくさんだ。ルーツの言ったことが正しい。その意味ではもはや広島の活性化はサンフレッチェやドラゴンフライズが担っているといっていい。今のカープは、アーレフや旧統一教会と変わらない。






コメント
広島県のルーツを辿ると、縄文時代後期から弥生時代(紀元前1000年〜紀元後300年)にかけて水稲農耕文化が定着し、生活様式は稲作中心の農耕生活でしょ。農耕民族は規律・技術・精神性を重視、感情を抑制する傾向が強い。日本のスポーツ文化は、農耕儀礼・集団調和の影響が強く、農耕的な穏やかさと規律が支配的で闘争心に欠ける。
一方、ArsenalのHale End Academy(ジュニア)や London Colney Training Centre(ユース)に所属していた1970年代半ば~1980年代前半は、フーリガンの全盛期という事も含め、スタジアム内もその周辺もめっちゃ荒れてた。この当時ロンドンサッカーは労働者階級の文化であり、観客の大多数は工場労働者、港湾労働者、建設業などのブルーカラー層で、選手も多くが労働者階級出身だった。年俸も現在とは比べ物にならないほど低かった。観戦料は非常に安価で、50ペンス(約300円)。現在の£182(35,000円)の僅か1%弱で観戦できたが、フーリガンの襲撃で死者も発生していたので、選手も観客もまさに「命懸け」だった。ま、フーリガンが居なくなった現在でも、ロンドンダービー(7チーム)では熾烈なデッドヒートが繰り広げられ、場内外での乱闘は日常茶飯事。ロンドン内でも、地区外チームの応援に加担する者が居ると、リンチに遭う可能性大。
ロンドンのサッカー文化は、中世の騎士道や部族的闘争文化の延長線上にあり、狩猟的気質が色濃く残る。観客は熱狂的・攻撃的・部族的な応援スタイルで、選手は闘志・感情表現・挑発が強く、試合中の衝突は頻発する。
やはり、農耕民族の遺伝子を強く受け継ぐ広島人は勝利に関し淡泊で諦念の境地に至るのが早い。狩猟採集民族の血を引くロンドン人は、勝利に対し執念が滲んでいる。古代から脈々と受け継がれるDNAは、現代のスポーツ観戦や選手の気質に影響している。