嗚呼思い出の本塁打

おもひで

とにかくHATSUKI CASEばかりでは、書いていても飽きる。なんでも今シーズン中にでも球団創設以来の通算本塁打が9000本に達するとかである。そこで、中国新聞が「思い出に残るホームラン」を募集しているらしい。まあ私はそれはHATSUKI CASEから目を逸らせるためだとしか思えないし、タイミング的にもそう考えるのが相当だろう。

でも、嫌事ばかりでは辛いので私もやってみようと思う。しかし、一本に絞るのはなかなか難しいので、つらつらと思い出に残るホームランを挙げていきたい。一応私がスタジアムで、あるいは映像や音声で接した本塁打に絞らせていただく。球団史的には1975年10月15日のホプキンスの決勝スリーランを外すわけには行かないだろうが、これは見ていないのだ。

やはり私小説的に言うなら、1987年のミラクル片岡だろう。角三男から打った札幌円山球場での決勝ホームランと山本和行から打った市民球場でのサヨナラホームラン。この2本で片岡光宏は伝説となった。府中東高校のエースとして甲子園に出場、そしてカープのドラフト1位というその出自からずっと応援してきていたのが、報われた気がしたのである。

これも私小説的に言うなら、初めて目にした公式戦のホームランは、髙橋慶彦の開幕戦先頭打者本塁打である。やはり我々の世代ではカープのスターは髙橋慶彦だから、余計に思い出に残っているのだ。開幕戦と言えば、その2年後、前田智徳の開幕戦先頭打者初球プロ初本塁打も忘れられないところだ。彼は絶対に持っているなと思った次第である。

前田智徳で言うなら、1996年の7月7日、神宮球場でのスワローズ戦での決勝本塁打が強く印象に残る。その試合はスタジアムで見ていた。8回表、野村謙二郎が土橋とのクロスプレイで負晶交代したのだが、明らかにあれはアンフェアなプレイだった。その直後に打席に立った前田智徳は、怒っていた。振り抜いた打球はまさに後光を放ってスタンドに飛び込んだのだ。

このホームランが印象深いのは、結果として1996年のカープファンのお祭り気分がそこで終わったからである。そこから先についてはしっかり書いておきたいのだが、これまたワルクチになるのでやめておこう。ホームランの話を続ける。

ここまで書いてきて、山本浩二も衣笠祥雄も出てこないではないかと言われそうだが、仕方ないのである。あまりにも多すぎて一つに絞れないというか、コージさんキヌさんのホームランは日常過ぎたのである。あえて一つに絞りがたいところを一つにと言うなら、これも私小説的に書いてみる。

山本浩二の場合は、1984年8月のタイガース戦のの1本の満塁本塁打を挙げたい。その前の後楽園球場のジャイアンツ戦での意地の逆転スリーランを覚えておられる方は多いだろう。6番に打順が落とされ、しかも目前で幼いが敬遠されたあとの怒りの一発である。実はその後ハマスタでのホエールズ戦があったのだが、古葉監督は3試合全休させた。そして広島に戻ってきた最初のカード、第1打席、完璧な本塁打。そしてそれこそ山本浩二不死鳥伝説の序曲となったのである。

衣笠祥雄の場合は、いろいろあるが、1986年、山本浩二の現役最終打席で打った本塁打の後に打った餞の一発を挙げたい。番外編になるが、1987年のオールスターで打ったホームラン、ラジオ実況のアベロクさん曰く「国民栄誉賞御礼ホームラン」も挙げてみたい。さらにいうなら、オープン戦も含めるなら私が初めて見たカープ選手の本塁打は、1984年、姫路球場でのブレーブス戦での衣笠のホームランである。

降格となんかみんな古い話になってしまったし、徒に長くなってしまった。機会があればまた書いてみるとして、最後にひとつ、1991年8月のドラゴンズ戦での松井隆昌のプロ初本塁打を挙げたいと思う。試合内容を左右するものではなかったのだが、その後捕手に入り、スタンドからのおそらくは形式的な松井コールに対して、腰を90度に曲げて礼をした姿にスタンドは沸いた。こいつは面白いやっちゃと思った。それが翌9月の「違いが分かる男」伝説に繋がるのだ。私は彼を1991年逆転優勝の陰のヒーローだと思っている。

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