三連休初日だった11月22日、急性心筋梗塞で救急搬送されたことは以前書いた。あのときはずいぶんさらっと書いたようだが、聞くところによるとかなりまずい状態だったらしい。AEDを使われたことは聞いたのだが、要するに心肺停止になっていたということである。幸運だったのはその時が救命救急センターの手術台の上だったからであって、もしあのとき救急車を呼ぶ選択が出来ずに家で寝ていたらと思うと、ぞっとする。
ほんとうに、全てのタイミングが良かったとしかいいようがない。ひとつ間違えば、まだ病院でリハビリをやっていたか、あるいは三途の川を渡っていたか。これはきっと私の亡き母や祖母がまだ来るんじゃないと追い払ってくれたからということだろうと思う。あるいは急なことで六文銭を持ち合わせていなかったから渡し船に乗せられなかったのか。
それはさておき、人によっては臨死体験とか、あるいは本当に三途の川を見たという人もいるらしい。しかし、私にはなかった。救命救急センターに運ばれたところまでは記憶があって、その次の瞬間にはPCIの手術をしている医師の声が聞こえていた。それが予後の回復力に繋がっていたのではないかと思う。ちなみに今は、セーブしながらだが普通に出勤して仕事はしている。
そんなこんなで、三連休は全てつぶれ、やりたいことは何にも出来ないまま今に至っている。入院中は頭は冴えていたので本でも読もうかと思ったのだが、あれは気力と体力がないと出来ないことが分かった。やっぱり、心のどこかで心臓をかばっていてその分気力が落ちていたのだろう。今は、夜更かしせず規則正しい生活しているからというのもあるが、やりたいことがまったく出来ていないのである。
それはさておき、一度尽きたかもしれないこの命が今あると思うと、自分は非常に運が良いのだろうと思う。要するに悲観することがなくなった。明日は明日の風が吹く。いらんこと考えるくらいなら果報を寝て待とうと思うようになった。というと達観した境地に達したようだが、これは新堂幸司という偉い民訴法学者(最近の法学徒は知らないかな)からの受け売りでもある。
そうなると、言いたいことを言ってやりたいことをやらないと始まらないし、つまらない。私などカープファンであること以外にはIdentityがないかもしれないが、それで良いと思っている。亡母の赤地に紺のCのマークの帽子を買い与えられ、程なく第二次赤ヘル旋風が巻き起こり、やがて1983年5月31日の「月刊カープファン」との出会い。カープを追うことこそ我が人生、なのかもLしれないと思っている。
余談だが、私をカープ一色にした罪作りな雑誌でもあった「月刊カープファン」の会議室的役割でもあった中町の「喫茶カープファン」も店を閉じるらしい。店主が年を重ねたからだそうだが、誰も後を継げなかったのかという思いもする。それこそ食い扶持を失った元選手たちに任せる手はないものかと思う。まあ、最近の甘ちゃんでは飲食は無理か。
またまた余談だが、「月刊カープファン」はさる理由で悲劇的な終わり方をした。それ以後、なかなかファンとして得心がいくようなカープファン雑誌が現れない。月刊アスリートマガジンなんて全然駄目だった。そんな駄目駄目媒体がカープファン雑誌を作ると言われても、ああそうですかとしか言いようがない。批判力の欠片もないハジメの腰巾着なら存在意義はないのだ。
何を書きたいのか分からなくなる前に話を戻す。私は度量の広いカープファンと違って(ここイヤミだよ、念のため)、カープが勝ってほしいし、カープが勝たなきゃつまらない。まさに命の限りカープの勝利を追い求めたい。おそらく大多数のファンの方は理解していただけるものと思うが、そうではない、弱いカープを愛するのが本道だという向きもいるから、なかなかカープファン道も難しい(ここもイヤミだよ、念のため)。
しかし私などは、今はなかったかもしれない命だから、これからはやりたいようにやっていきたいし、そうすべきだと勝手に思うこととする。どうせなら私は強いカープが見たい。来年こそ1984年以来達成していない日本一が見たい。もはや21世紀に日本一になっていない、そして最後の日本一が昭和という唯一のチームとなってしまったのである。こんなの、おかしくないかい?
さらにしつこいようだが、私は二度までもパシフィックで愛する球団を失った。諸行無常、わかよたれそつねならむ、である。広島にカープがあることは、当然の理ではない。それをカープファンには、特にカープが強くなくてもいいと思っている向きには、知っていてほしいのである。いつまでもあると思うな親とカープ、である。
ちなみに今回の標題は、一連の燃えドラの中でもかなりレアである「燃えよドラゴンズ!!命の限り」の締めの部分、いつもなら「〇〇監督の胴上げだ」と歌われる部分の歌詞である「命の限りの中日だ」から戴いた。もちろんその前に来るのは、「僕もあなたも願ってる 祈る気持ちで待っている それはひとこと優勝だ」である。命の限り強いチームを、もちろん最終形としての優勝日本一を願うのが筋ではないかい?と思ってのものである。
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コメント
睡眠障害の影響か、たまに金縛りに遭うことがある。天井から自分を見下ろしている現象が起こり、あまりにも怖いので強引に起きようとトライするけど筋肉に力が入らない。また、中2の時、飲酒運転のクルマに撥ねられ救急搬送され、意識混濁の症状に陥った時は、金縛りに似たような遊体離脱というか、自分の身体を外から見ている現象が起こり、救急隊員が急に光って奇妙な化けもんに変身し、俺を引っ張ろうとする。
大東亜戦争で臨死体験をした伯父に、死ぬ前には必ず「光」を見る、と聴いていたので、化けもんに変身した救急隊員が光って俺を引っ張ろうとした時は、何となくあっちの世界に連れて行かれるやんなぁ、と感じた。
なので、中2の時、自由課題の論文で「いかに良い余生を送るか」という題目で提出したことは今でも間違っていないと思ってる。その当時は、国語の先生に中2の生徒が書く文章ではない!と怒られ口論になり、先生は何も分かっていないと反論した。良い余生とは、余った時間をダラダラ過ごすことじゃなく、残り少ない時間を如何に有用に密度の濃い生き方をするか、なんだから、中2だからこそ、先が長いと思ってダラダラするのではなく、残り少ないと思って集中しなきゃならないのでは!と反論した。
余生とは「余った時間」ではなく「残された時間」であり、そして残された時間は常に有限である。
常日頃、「自分の死」なんてない、と思ってる。この思いは、解剖学者・養老孟司氏の考え方と合致する。彼も自分の死について「死んだあとのことは知ったことではない」「自分の死はない、死は家族が体験するもの」と述べている。
また、死ぬ前に物などを整理する「終活」が流行っている。自分の死後のことを考えて迷惑がかからないように準備をすることは本当に必要なのか。養老孟司氏は「僕は終活は意味がないと思っています。死という自分ではどうにもできないことに対して、自分でどうにかしようと思うのは不健全です」と。生まれたときも、気付いたら生まれていたわけです。予定も予想もしていなかったことです。死も「気が付いたら死んでいる」でよいのではないでしょうか。しかも死んでいることに自分が気付くことはありません、と。ごもっとも(笑)。
彼の語り口調は、実に明快で、内容も腑に落ちる。さすが理系の頂点”理3″。
養老孟司氏は、科学者としての立場から、仏教の思想が科学と矛盾しないところ、特に「縁起」や「中道」の考え方が物事の本質を捉える上で有用だと語っている。
仏教の思想は、世界を“固定的な実体”ではなく“関係性のプロセス”として捉えるという点で、科学の最先端の理解と矛盾しない。さらに、中道=モデル依存性の自覚、縁起=関係性のネットワークとしての世界という構造は、養老氏の科学観と完全に整合する。だから彼は仏教を宗教としてではなく、認識論として仏教を扱っている。
「素粒子の研究に、ギリシャ思想は全く役に立たないが、仏教には多くを教えられた」(湯川秀樹)
「仏教はキリスト教に比べれば、100倍くらい現実的です」(ニーチェ)
「仏教は、近代科学と両立可能な唯一の宗教である」(アインシュタイン)
このように、「すべての結果には必ず原因がある」という因果の道理に貫かれている仏教は科学と同じように、非常に合理的で分かりやすい教えだと実感している。
仏教=科学ではないけれど、仏教と科学は親和性が高い。
ところで、俺のカープ党歴は小学生の頃からなので、約半世紀。最もディープだったのは中学生の頃で、雑音だらけのRCCカープナイターを聴き、カープが負けたらラジオを投げつけていたからなぁ。ラジオを何個破壊したことか(笑)。
16~24歳の頃は在英中だったので、カープとは一旦縁が切れ、その後はラジオを破壊することもなくライトファンに転身。ていうか業務が超多忙の上、国内外を転々とする流浪の民だったので、野球どころではなかった、というのが実態。
歴代監督で俺の好みは、ロリン・ジョセフ・ルーツ、古葉竹識、マーティ・レオ・ブラウンの3名だけ。
今は、ファンではなくカープウォッチャーで、距離を置き生温かく見守るだけかなぁ。八百長に慣れきった緩みまくっているチームは、潰れたらエエと本気で思ってる。