カープファンを名乗る者が口にする世迷い言の一つに、「カープは愚直なまでに育成する球団」というのがある。私はこの言葉を発するをカープファン莫迦発見器として見ているのだが、残念ながら非常に莫迦が多いという結論に達するのだ。正直なところ、よくこんなこと言って恥ずかしいと思わないよなとしか思えない。
彼らが犯している最大の誤りは、育成と補強は二律背反のものと考えているところだ。もちろんそれは違う。育成はもちろん大事だし、それを疎かにして強くなったチームはない。しかし、残念ながら育成には即効性があるとはいいがたい。場合によっては速やかに手を打つ必要があることだってある。そのときには、やはり補強という手段を執らざるを得ないのだ。そんなことは、子どもにも分かる道理だ。
しかし、それがハジメ人民共和国では通用しない。それどころか、補強はとんでもない悪であるかのような言説が広まっている。しかし、よくこんなのに騙されると思う。私に言わせれば、騙す方も悪いが、騙される方もまたどうしようもないあほうだ。これは本来カープファンを名乗る上で恥ずべきことであるといっていい。そんなのと同列に扱われるのだから。
もっとも、人民共和国の領導様はそんなものを説明抜きで使うほど莫迦ではない。そこで登場したプロパガンダが、「カープは愚直なまでに育成する球団である」。しかし、ちゃんちゃらおかしい。以下簡単に理由を挙げる。もちろん、これで人民共和国の忠実なる臣民が納得するとは思えない。どちらかというと彼らと訣別し、一種の騒擾を起こすべきものかもしれないが。
なんといっても致命的なのは、「育成」ですべてが解決するかのように思い込んでいることだ。それに、補強に当たり外れが伴うのと同様に、育成にも当たり外れが伴う。愚直に鍛え込んだといったところで、素材が思ったほどよくなければ結果は出ない。あるいは、早生種もあれば晩生種だってある。それは、実は鍛えてから分かったりもする。だから、どのチームも育成のみに頼らないのだ。それは組織としてのリスクマネジメントでもある。それを分かっていない以上、どんなにかっこいいこといっても零点答案なのだ。
それに、前述のとおり育成と補強は対立概念ではない。十分に並び立つもの、いや両立すべきものなのである。それを体現しているのは同じヒロシマ球界にいるサンフレッチェ広島だ。いや、カープだって1975年の初優勝から古葉政権が終わった1985年までは、それが出来ていた。確固たる育成メソッドと適切な補強でカープはゴールデンエイジにあったのだ。そしてそれはまさに育成球団の理想型でもあったのだ。
ところが、それをすべて壊したのがハジメである。彼奴の頭の中は古葉憎ししかなかった。だから、古葉政権下でうまくいっていたことをすべて壊した。その結果が、「失われた二十余年」である。当たり前だ。うまくいっていたことをボロボロにしたのだから。それだけでもハジメはオーナーとして万死に値するのだが、それを理解できないあほうのなんと多いことよ。
それを糊塗するためにハジメが考えたロジックが、「カープは資金力に限りのある地方球団」であり、「愚直なまでに育成しなければならない」ということである。そもそもその根底が誤っているのだから、正当性を持ち得ないし、そもそも論理的に間違っているのだから、話にならない。よって、こんなもので騙される方もまた莫迦だという結論に達するのだ。
それに、カープが育成球団という割りには、その育成の成果は全くない。今の主力選手に誰がいるかい?育成の成果物というべき選手が。小園海斗と坂倉将吾は別だ。彼らは嚢中の錐であったのだから。育成の成果と言うよりは潰さずに出てきてくれたというべき選手だ。逆に、潰した有望株なら掃いて捨てるほどいる。そこから這い上がってホークスのブルペンを支える藤井皓哉など強力なアンチテーゼというべきだろう。
だから、「育成のカープ」だとか「愚直なまでに育成する球団」だとかほざく向きは、私には坂田利夫師匠の赤丸に「アホ」と白抜きの紋が入った金羽織を着ているように見えるのだ。いや、師匠のそれと一緒にしてはいけないだろう。師匠は見る者に笑いを届けるが、そんなことをほざく向きはカープファンにとっては不倶戴天の敵でしかない。要するに、消えてなくなってほしい。
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