だいたい私がここで書く話というのはたいがいどうでもいいことばっかりなのだが、たまには真面目くさって書いてみることとする。こういうことも書けるという存在証明もしておいた方が良いかもしれないし。
日本国憲法の第八十二条で、裁判の公開が定められていることは、高校の公民レベルの知識である。そしてその例外、すなわち非公開に出来る場合というのは、極めて限定されている。これは、現代の憲法の規定としては実にuniqueなものである。実は、同じ第二次世界大戦後世代であるドイツ基本法、フランス第五共和制憲法、イタリア共和国憲法には存在しないのだ。アメリカ合衆国憲法にはあるが、これは18世紀のものである。類似の規定があるのは大韓民国憲法だが、まあこれは日本国憲法のリライトかなという気がする。
これはなぜかということを説明すると眠たい話になるから省略するが、ひとつ言えるのは、これをすっ飛ばしてしまうと憲法違反になるということである。そして憲法違反というのは刑事裁判でも民事裁判でも判決が敗れる痛恨の一撃なのであって、そうならないように裁判に携わるものは心を砕いている、といいたいところなのであるが。
残念ながら、それを疑わしめるニュースに接した。某裁判所の刑事裁判で、見学に入った裁判官が傍聴席の出入口の鍵を閉めてしまったのである。これはあり得ない。というより、何を思ってそんなことをしたのか訳が分からない。法廷に鍵をかけるケースというのはないわけではないが、少なくとも傍聴人が鍵を閉めるというのは前代未聞である。この裁判官は、まったく裁判の公開というものに対する緊張感が欠けているといわざるを得ない。
実は似たような話は何年か前にあって、これは別の某裁判所の民事裁判だったが、調書に公開で行われた旨の記載を書き漏らしてアウトになったのである。正直これを聞いただけでもがっかりしたのだが、書き漏らしというのはまあヒューマンエラーとしてまだ分かるところがある。それでもこんなのあり得んと思ったのだが、今回の事象はあり得ないを通り越して何考えてんだといいたいところである。いくら司法試験を通ったと言っても、こういう裁判官はまったく尊敬できない。
別に司法試験だけでなく、入学試験でもなんでもそうだが、試験により担保されるのは受験当時の能力である。それで十分だと思うのは非常におめでたい人間というべきだ。もちろんどんな記憶もすべからく忘却曲線にかかるのであって、殊に受験のための知識なんてその餌食である。だから錆び付かないようにブラッシュアップしなければいけないのであるが、裁判官養成もそれ以外の職員の養成もそうはなっていないようである。特に憲法なんて、合格した瞬間に全部忘れましたになっちゃうのかな。
だから、下級審レベルでもろくな憲法判例書けないんだろうな。その一方で憲法学の方でも実務への感銘力が落ちているのではないかという気がする。正直なところ、若い世代に安心して勧められる憲法の基本書って、非常に限られる。その一方で、憲法と名を付ければ何でもいいとばかりにでたらめなことを書いている本もある。事実、今リアル書店で憲法のコーナーを見ると、こんなの並べるかというような本が結構あるのだ。
と、いうわけで、今年はひさびさに腹を据えて憲法の基本書を読んで見たいと思っている。ただ、数年前にも同じ誓いを立てて数日間で挫折した経緯があるし、まあどうかな。
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