もうすっかり歴史上の人になってしまったが、かつて横山やすしという漫才師がいた。少なくとも外面はハチャメチャな人という伝説を多く残しているが、唯一残った弟子である横山たかし・ひろしへの度が過ぎたしごきは有名である。あまりの酷さにまわりの者が耐えかねて、吉本興業から正司玲児の弟分という形で松竹芸能に移籍させたエピソードがあるくらいだ。もちろん最初から何それかまわずどつきまわしたわけではなく、最初は付き人としてついているときにしくじったのを咎めたのが始まりらしい。
それでは当のやすしが付き人だったときはどうだったかと言われたら、これが何もかも完璧にこなしていたらしい。もちろんついていたのは漫画トリオだが、ノックフックパンチのワイシャツののりのきき具合の好みの違いまで頭に入れていたらしい。要するに、付き人としてもパーフェクトであったようなのだ。勢い、自分の弟子にも同じレベルを求めて、出来なければどつきまわすという体だった、らしい。
なんでこんなことを引っ張ってきたかというと、これぞまさにパワハラが起こる原理だからである。私も我が社の内情を見てきてよく分かるし、はっきり言ってパワハラをするもんから偉くなると言う不健全な職場なのであるが、パワハラをやる人というのは、非常に出来のいい人だ。いや、人間的にではなく、仕事の。そして、パワハラの端緒として一番多いのが、なんでそれができひんのん?である。その次は生理的な好き嫌い。そんなもんだ。一見合理的なものと非合理の極みのシンクロニシティなのだ。
そして、パワハラは必ずエスカレートする。合理的な説明はなかなかつきがたいのだが(まあそれがハラスメントの所以なんだろうけれど)、これは教育的見地なんだという認知のゆがみがなせる技なのかなと言う気がする。要するに、一片のやましさがあればそこまで行かないところ、それが欠落してるか、そもそもこれは人のためなのだという誤った思考のたまものだろうと思う。
さらにいうと、パワハラは必ず遺伝する。それはしかたがない。パワハラをやるような人はたいがい業績を上げるから、当然しかるべく昇進する。有能な人はそれを見ているから、必ず真似をする。その中に人間性が欠落しているようなのがいたら最悪である。パワハラのためのパワハラが生産される。そうでなくても、善意の人が誤った方向に進むほど怖いものはないことは、歴史が証明している。
もののついでに言うなら、パワハラが上下関係を元に行われるとしたら、それが水平関係に移行した際に行われるのがいじめである。パワハラが幅をきかせるような職場は、非常にいじめと親和性が強い。あくまでこれは体感だが、パワハラが横行するような職場ではかなりの確率で職場いじめが蔓延しているのではないかと思う。
などとつらつらと書いてきたが、言いたいことは一つ。今回の安樂の一件は、安樂ひとりを咎めておしまいではいけないということだ。彼のやったとされるパワハラは、絶対に安樂の発明品ではない。彼も同じことを、被害者か傍観者かはともかくとして、体感してきたからというのが正しい。それが済美高校に顕著なことだったのか、楽天野球団の体質だったのか、あるいはスポーツ界全体に言える体質だったのかは、私には分からない。きっと、少なくともNPBには蔓延しているだろうな。
さらにとどめを刺すと、ヒロシマ球界って、ある意味パワハラやいじめが横行してないかい?ファンも共犯として。なんせ、戦力的に大事な選手を軽んじ、どうでもいい選手を尊ぶ体質。その体質の根源には、バカープファンが尊ぶファンのヒエラルキィのトップに立つ男の好みがあるのだ。少なくともカープファンの多くは、安樂を叩く資格はないと思っている。
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