昨年の奨成、松本に続いて、このたび小窪が週刊誌沙汰になったようだ。どうやら不倫がどうのこうのらしいが、私の感想は標題のとおりである。正確に言えば、ばれるようなドジを踏むくらいやったら最初からやるなと言うほどのものであって、それ以上でも以下でもない。てゆーか、まったく興味がないし、どうこう言う気もない。もちろん、それに対して嫌悪感を持つのは個人の自由だが、だからといってそれを奇貨として彼を叩く権利は、部外者には持ち得ないのである。
まあ昔Twitterかなんかで読んだが、不倫は刑事法に触れると思っている法学部生すらいるのであって、世の中の知性の低下は憂慮すべき状況にあるから、もの知らぬ自称カープファンが騒ぐのも無理はないのだが、それにしてもこんな莫迦がいるから三文週刊誌が売れるんだろうなと思う。たかが不倫じゃねえかと思う。その前に騒がれた奨成など子どもの火遊びだ。そりゃよろしくはないし、私も標題のとおりアホかと思うのだが、その程度の問題ではないか。ほんとにね、この程度のことで騒ぎ立てなきゃ気が済まない向きは、統一教会を笑えないよ。
でも、騒いだ方が徳の高い人間である、道徳的に正しい人間であるという誤った観念が、出回っているらしい。だからカルトの入り込む余地があるんだろうと思う。みんな必死に「正しさ」を求めてやまないから、訳の分からないカルトに引っかかるし、そういうカルトが跋扈するのである。まあ、今のカープファンのサークルなどカルトそのものだから、もとより親和性が強いのかもしれないけどね。
まあカルトとまで言わないまでも、どうも最近の人は(これはカープファンに限らず)極端な善悪二元論に毒されているのではないかと思う。どんなに振り幅の大きな概念であっても、0か1かどちらかにしか考えられないのだろう。まあ、昭和の時代に国民的スポーツだったプロレスを見ている感覚と径庭がないのだろうね。1986年度の京大経済学部の論文型入試でファジィ理論が取り上げられ、1990年代になって一般向け家電に実用化されたのだが、もはやファジィどころか電卓の時代の単純なデジタル化に逆戻りしているような気がする。
その行く末は、あまりよろしくない結末が待ち受けているような気がするのだが、なぜかみんな一種の宗教的陶酔のもとその結末に向けて邁進してるのかもしれない。しかし、私はそれに与さない。人生で大事なことはタイミングにC調に無責任、こつこつやるやつぁご苦労さーんとばかりにスイスイスイダラダッタと生きていくことを目標とする。それが、畢竟待ち受けている泥船に乗らずに済む唯一の手段ではないかと思うのだ。






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