1988年の年越しは、予備校の寮近くの銭湯で風呂に浸かっていた。要するにその程度のことしかやることがなかったのである。元旦もまったく無為に過ごし、三が日明けたら予備校の冬期講習に追われていたのだが、ついに「その日」はやってきた。1月7日、もちろん今年と同じ土曜日。朝起きてラジオを付けたら物々しいクラシックの調べ。これですべてを察した。それからのことはもはやいうまでもない。これが私の「代替わり」の思い出である。
共通一次試験のあった1月15日は、1989年は日曜日であったが、かつてはラグビーの日本選手権、社会人選手権優勝チームと大学選手権優勝チームの一発勝負があった。この年に社会人選手権を制して日本選手権も制したのが、神戸製鋼。いうまでもなく神戸製鋼七連覇の始まりである。そして、新日本製鐵釜石と並ぶ七連覇を達成した日本選手権は、1995年1月15日、これまた日曜日である。ウィニングスコアは102-14。史上最高得点、最大点差での勝利である。
ところで、社会人選手権大会34連勝を誇った神戸製鋼であるが、奇しくも最初と最後、1988年度と1994年度は、その前段階の関西社会人リーグを優勝していないのである。1988年度に優勝したのが近鉄。現在も近鉄花園ライナーズとしてリーグワンに名を連ねる名門チームの最後の優勝である。1994年度はワールドだが、ここは廃部となってしまった。
ついでにいうと、神戸製鋼の八連覇の夢が絶たれたのは1995年の社会人選手権準々決勝でサントリーに引き分け、トライ数差で敗退したことによるものだが、1996年の社会人選手権準決勝でついに三洋電機(のちパナソニック)に敗れることとなる。この試合は、花園ラグビー場で見た。聖地花園での初観戦が思わぬ試合となってしまったのである。
話は変わるが、1月のスポーツといえば都大路の皇后盃全国女子駅伝を欠かすことは出来ない。実は1989年の大会が何日に行われたかの記憶はないのだが、1995年の大会は1月16日、月曜日で振替休日に行われた。実はかつて住んでいたアパートは京都の駅伝コース沿いにあるのだが、この大会は見ていない。なぜなら、
ちょうど時間となりました。明日へ続く。