晴れ時々pridegreen #144

天使:皆様、新年明けましておめでとうございます。新春の候、いかがお過ごしでしょうか。

悪魔:去年は旧正月まで出番がなかったかと思えば、今年は三が日か。なんやら今年はこき使われることの暗示かもしれんな。

天使:ほんと、時間外手当もらわないとやってられないわよ。だいいた、管理人はどこ行ったの?確かに明日から本業があるのかもしれないけど。

悪魔:あー、「箱根駅伝復路症候群」という診断書を出してきたぞ。まったく気乗りがしないってな。

天使:なによそれ。「サザエさん症候群」の新春版ってこと?確かにあれが終わると、ああ正月休みも終わったなあという気がするのかもしれないけどね。

悪魔:まあしかたないから、紅白歌合戦のネタでも繰って繋ごうや。でもその紅白、いかにジェンダーレスの時代というたかて、対決色を薄めて何が面白いんかと思うけど。

天使:まったくそうよね。中村中さんの例もあるんだから、性自認で選べばいい話なのにね。おかしいわよ。

悪魔:それと、まあいくらストリーミングで回数稼いでるといっても、他人様の前で歌うには及ばん連中の多いこと。ほんと、一部ウケの集合体やな。こんなの見せられてもはあ?としか言えんよな。

天使:それに比べて加山雄三さんはよかったじゃない。御年85歳であの歌声でしょ?ステージで生歌歌えないジャリタレに爪の垢煎じて飲ませてあげたいわ。

悪魔:ただまあ、なんか足下がふらついてたのが気になるがな。放送事故にならなかったのが幸いや。

天使:視聴率的には下から2番目だったようね。あんな素人まがいのたくさん出してたら仕方ないのかしらね。もっとコア視聴層に訴求すればいいのに。

悪魔:一説によると、テレビ視聴率なんてどうでもよくて、もっとNHKのWEBストリーミングに若者を誘導するためとのことや。まあ、どちらにしても成功してるとは言えんがな。

天使:でも今に視聴率は「年忘れにっぽんの歌」に、ストリーミングは「ももいろ歌合戦」に負けたりしてね。

悪魔:なんせ「年忘れにっぽんの歌」も、売りが「視聴者を裏切らない「絶対にはずさない名曲」をたっぷりお届けいたします」やからな。いよいよ紅白に喧嘩売ったかもしれん。管理人も録画しなかったのを悔やんでるとのことや。

天使:そうなのよね、管理人はテレ東系にはあまり縁がない土地ばっかりにいたけど、今や「BSテレ東」があるのよね。

悪魔:テレ東の音楽番組はコアやからな。いまはないらしいが昔は「昭和歌謡大全集」という特番もあってやな。テレ東視聴可能の折はせっせと見とったらしいが。

天使:ああ、昔の音楽の話っていいわよね。これだけでひとネタできそうよね。

悪魔:コロナ禍ではあるが、カラオケにでも行くかい?昭和歌謡縛りとかで。(TENSHI and AKUMA will be back soon……)

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コメント

“晴れ時々pridegreen #144” への1件のコメント

  1. 悲しみのカープファン。のアバター
    悲しみのカープファン。

    管理人様、ご無沙汰しております。その後いかがお過ごしでしょうか。

    私はこちらのブログに投稿を辞めてからは長く見ていませんでした。今回も投稿するつもりは無く・・ただ、昨年のお礼も含めまして途中でやめたので挨拶して辞めたほうがいいのかなと想い投稿させていただきます。

    さて、私事ではございますけれど、個人的にピアノを幼少の頃より弾いておりまして・・、音楽関係は基本的に好きな話なのでついつい・・(カープは関係ないですけれど‥(笑))つらつらと・・書かせていただきます。

    さてさて、昨今の紅白は姿恰好ばかり気にして、「文学と情緒が失われてしまった」様に思えます。例えば、演歌と浪花節の中には日本人の心をゆさぶる「恥の意識」と日本的情緒が溢れていました。そこには心をゆさぶるものがあったけれど、今や見る影もなくなって、見かけ倒しのファッションとセリフだけに一変してしまいましたね。

    レコ大にしても現実的な話をすると、新時代かHabitの2択でしょう。ただ一方で、どうもレコード大賞の権威がなくなってしまったように見えます。昔の映像を見るとレコード大賞というのは、選ばれるだけで人生が変わるような凄い栄誉だったのが過去の映像で分かります。

    事務所の絡み等もあるけれど、、インターネットの登場とSNSの普及で、好きな曲を好きなだけ聞ける多様性が逆に、共通の曲を聴くという部分がどんどんなくなってきてますよね。

    音楽の方向性は昔は「文学と情緒」、途中は情景が浮かぶ歌でした。津軽海峡冬景色等、演歌はもちろん、神田川等、フォークソングにしても場所設定はありました。現代は、さまざまな人が、さまざまな環境に育っている時代。そんな市場でメガヒットを売ろうと思えば、特定の土地や、特定の経験を歌うことは、リスクになってしまいます。湘南を歌い続けたサザンや、中央フリーウェイを歌った松任谷由美の時代とは違いますよね。広い支持を得ようと思えば、いつでも、どこでも、どんな環境に育った人にも共感してもらえるような歌詞作りが欠かせません。私が音楽にはまった子供時代の1990年代から場所設定は消えていった様に思います。ただ、その頃はまだ、閉塞感に満ちた社会に対して抑うつ的で解放と自由を歌う歌詞がまだ雰囲気としてあった気がしています。更に時代は進んで現代。社会はより多様でより自由になりました。

    しかし、曲を見ると社会に関しては諦めと無関心。個人的な心情を歌う歌詞が増えたように思います。抑圧された社会を壊した先にあったのは自由で、かと言って何もない空虚で軸を失った孤独な世界だったのかもしれません。これからの日本の音楽の方向性と世相について考えてしまいました。

    ではでは、最後になりますけれど、管理人様お元気で。お世話になりました。

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