今日は、元ドラゴンズの板東英二翁の訃報が流れた。私以後の世代にとってはバンちゃんといえばコメディアン寄りのタレントであったわけだが、やはり1958年夏の選手権での1試合25奪三振(延長18回参考記録)、大会通算83奪三振、プロ通算77勝という記録はもっと語られてよいと思う。クローザーの走りでもあった人だ。ちなみに延長18回再試合ルールを作ったのもバンちゃんがきっかけで、その適用第1号がバンちゃんというのも何かの因縁だろうか。
ところで、バンちゃんの残した最大の仕事と言えば、1974年に吹き込んだ「燃えよドラゴンズ!」だろう。それ以後あまたの燃えドラが作られ、私もそのほとんどをコレクションしているが、やはり一番刺さるのが1974年版なのだ。やはり打倒ジャイアンツに燃える与那嶺要監督のもと、V10阻止に向けて戦った応援歌。その時代の空気が、音源にそのまま刻まれている。
話は変わるが、今日は広島球界で大きな出来事があった。選手権の広島県予選決勝。誰もが広島商有利と思ったなかで、市立福山が広商を破る金星を挙げた。私も驚いたが、監督は迫田守昭翁から今は小田浩翁が引き継いでいる。いずれも広島高校球界のレジェンド、というより奇しくも広商ラインである。強化が進んでいたことは容易に想像できる。
実績のある指導者がチームを変える例は多い。選抜出場の崇徳高校の総監督はもちろん山崎隆造。春の県大会優勝を決めた名門呉港高校の監督は片岡新之介。少し前に選抜で「イチクレ旋風」を起こした市立呉高校の先代監督はもと尾道商業の中村信彦翁で、今は広島文化学園大学監督である。その広島文化学園大学を強豪校にしたのが三原新二郎監督。学生球界のレジェンドだ。学生野球ですら、指導者ひとりでここまで変わる。
況んや、選ばれし者どもが集うプロ野球をや。いや、選ばれし者どもが集うからこそ、指導者の力量がより重要になるのだろう。
1974年のドラゴンズに話を戻すと、ウォーリー与那嶺もまたジャイアンツを追われた人である。同じ境遇と言えば三原脩監督や廣岡達朗監督がいるが、ウォーリーの打倒巨人への意気込みはとにかく強かったらしい。同年のドラゴンズの戴冠は、怨念にも似たウォーリーの思いが選手に伝わったからだといっていいと思う。日系二世でとにかくドライな人ではあったようだが、この一点だけは別だったのだろう。
その意味では、今のカープはてんで駄目だ。手兵が三流でしかも球界を揺るがすような疑獄を抱えていることは同情するが、なんせ指揮官が原始霊長類並みの知能な上にチキンハートなのだ。そりゃ何やってもうまくいかない。もちろん佐々岡真司のような能なしも野村謙二郎のような自己顕示欲だけの塊もまた願い下げだ。緒方孝市は、単なる「運監督」だ。自分のイニシアティヴで動いたらまるで駄目だった。
結局、カープというチームは全てがハジメの推し活でしかないところが構造的な欠陥なのだ。本来なら選手を吟味し、有能な指揮官・スタッフを呼ぶべきだが、そうしない。勝ってしまうからだろう。自分のチームを弱らせて儲けるという悪魔のようなビジネスモデルを作り上げたハジメの打倒なくして、カープが強くなるわけがない。今のカープに1974年のドラゴンズのような執念を求めること自体、誤りなのだ。
「燃えよドラゴンズ!」は、まだ若き日の山本正之の魂の応援歌だが、その翌年、名作詞家有馬三恵子の「珠玉のラブソング」が全国に流れることとなる。いうまでもなく「それゆけカープ」だ。しかし今のカープの状況では「それゆけカープ」を歌ったり流したりすることが憚られるくらいになっている。というよち、聞いていて辛い。
それでも、その状況は、きっと変わる。いや、きっと変えられる。自律的な力でないだろうことは癪ではあるが。どういう道筋でどうなるかは、やがて見えるだろう。
人気ブログランキング

コメント