昨日はサンフレッチェの大勝という出来事はあったし、その試合はテレビで眺めていたのだが、なんとなくそれをネタに書く気になれなかった。勝ったら勝ったでもう少し早くなんとかならんかと思ってしまったからだが、そうやってぼんやりしていたら眠気の方が先に来てしまった。そんなこんなで、何も書けなかった。まあそれ以外たいしたネタもなかったから別に良いのだが。
今日は今日で、またしても時間外勤務に忙殺されて帰りが遅くなったので、なおのこと気分が良くない。だいたい月曜日というのはそこまで忙しくないのがならいだから、余計に気分が悪い。帰宅後のルーティーンを済ませたあとも、結局眠気とだるさが勝ってしまう。それで日付が変わる間際まで何も書けなかった。今朝は珍しくこういう筋で書ければいいかなと言うプロットが出来ていたのだが、そんなこんなで全部吹っ飛んでしまった。まあよい。そういうときは最初から書くに及ばないという神の啓示だと思っている。
さて、年末となると、やがて新聞とかの今年を振り返る企画で「墓碑銘」とか「今年亡くなった人」と題するもの上がるところだ。私もそろそろ年末の記事の準備でそういうものを見返すことになるのだろうが、それはさておき。つくづく思うは自分が年を取ったということである。織田信長は「人生僅か五十年」と決戦の前に舞ったのだが、それで言えばもはや終着駅が近づいているかもしれないのである。いかに自分が2069年の誕生日にこの場で口上を述べるのを目標としてるとはいえ。
石原裕次郎という人は私の世代にとっては「太陽にほえろ!」の「ボス」役であって、まさにひと師団を束ねるくらいの威厳があった。しかし彼の没年齢は53である。で、石原裕次郎と言えば美空ひばりだが、彼女の没年齢は52。二人とも病を得ていたからだとはいえ、要するに自分にも何があってもおかしくないともいえる。ついでに言えば横山やすしの没年齢も52。彼も晩年は酒浸りだったとは言え、なんとも思うところあるのだ。
五十代から六十代というのはひとつの人生の山なのかもしれない。私の父方の祖父も母方の祖父も五十代で亡くなっているし、母方の祖母も六十代で亡くなった。いずれも病が原因であるのだが(ついでに言えば母方の祖父の遠因には被爆がある)、偶然の一致とも思えないのだ。著名人になぞらえるなら、六代目笑福亭松鶴の没年齢が68、その数日後に没した宮川左近が61。お二方とも威厳と貫禄があったのだが、実はそんなに年ではなかったのだ。その年に、なんやかんや言って近づいている。
私もやっかいな病を抱えているが、少なくとも亡母が抱えていたような難病ではない(そう言えば母の没年齢は70だ)。だからすぐに行く先を心配してと言うことはない。でも、あと50年生きられるかどうかは分からない。残された人生、どうやって生きていくかということは、割と真剣に考えているつもりだ。少なくとも今のくだらない仕事を伴う宮仕えはさっさとやめてしまいたい。1日24時間しかないところ、つまらぬ仕事に割いている時間などないのである。
結局結びはそれかいと言われそうだが、正直なところそうなのだから仕方がない。世の人には仕事を辞めたら燃え尽きてしまう人もいるようだが、私には信じられぬ。時代は「24時間戦えますか」ではないのである。24時間真剣に遊べるくらいじゃないと、まっとうな人間じゃないし、畢竟長生きも出来ぬというのが持論である。命永ければ辱多しといったのは兼好法師だが、彼は四十路どころか七十いくつまで生きたではないか。やはりみんな長生きしたいのである。
で、標題に戻ると、世の中の物事もなにもかも、流れる水の如く、そして水に浮かぶうたかたの如く、久しくとどまりたるためしなしと思うことが、よいのかもしれない。これが西洋的な観念では、”Verweile doch! Du bist so schön.”と叫ぶのかもしれないが。
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