さて、ベイスターズの戴冠から一夜明けた今朝。在広プレスの報じ方は、まさに事実のみを淡々と書くに過ぎなかった。そりゃ中国新聞やスポーツ紙の広島版一面で派手の意扱うわけには行かないだろうけれども、何かこそこそと報じているという趣に見えた。もちろん、これで唯一カープが最後の日本一が二十世紀の昭和の時代になったわけで、その後ろめたさもあると推測する。
本来なら、1984年以後日本一から遠ざかっているという事実を重く見て、カープに対する提言のひとつもあっていい。しかし、そんなこと彼らに出来よう訳がない。もちろん、日本一になれていない40年間はそのままハジメの治世と被る。そしてその提言は間違いなくハジメに対する諫言となる。そんなこと、ハジメが許すわけもないし、在広プレスが出来ようわけもない。一方で、いわゆる「主流派」のファンもファンで、DeNAの参入の際にいかにハジメが大きな役割を果たしたかということを取り上げて、ことさらにハジメ讃美に繋げているから、わかりやすい。
そんな安物の幇間芸に辟易していた今日の昼下がり、もっと分かりやすい提灯記事が出た。私はそれを見て最初はあきれたが、結局笑うしかなかった。その記事とは、Number webでのもので、なんでも、新井貴浩の言った「痛みを伴う変化」というのは、来年は勝敗を度外視して若手の育成を図る、ということなんだそうだ。ご丁寧に、新井には編成の権限がないから(心あるファンが望んでいるであろう)現場の選手の入れ替えという方法での「痛み」は無理だとも言っている。
なんのことはない。「痛み」を覚えるのは、選手やチームではなくファンだったと言うことだ。まあ、確かに間違いではないし、あながち嘘は言っていない。でも、これは詐欺師、しかも古典的なそれの典型的な手法である。要するに騙される方が悪いと言えるくらいなのである。ただ、なぜかみんな新井は正直な人間だという思い込みがあるから、それを利用したかされたかというところだろう。私はその前提事実は非常に疑わしいと思っているが。
しかし、逆に言えば新井だって自発的にそんなリスキーなことをやるほどのタマではないと思う。心底マダガスカルのキツネザルだったら話は別だが、本当はもっと策士気取りではないかと思う。少々頭が弱いだけで。そうなると、裏で糸を引いているのはもちろんハジメだろう。いや、私はハジメと新井はズブズブだと思っているから、案外WIN-WINの関係で動いていると考えている。あの最終戦でのスピーチの中身は、じっくり球団当局で練られたものと推測する。
ちなみに、Number webの記事は署名入りで、書いたのは前原淳。ニッカンのカープ担当である。なんのことはない、在広プレスの幇間記事ということだ。ただ、それをニッカンの広島版に出すと衣の下に鎧が見える。だから前原が寄稿しているNumber webという媒体を使ったというのが正確なところだろう。もっとも、雑誌の「Number」がいかにハジメに汚染されているかということは、少し観察していたら分かることであって、Numberに出たから確からしいと思うのは、少々頭が弱いのではないか。
でも、これでよく分かったのではないか。いかに今のカープは「変化」なんて望んでいないということが。そもそも日本一どころか優勝を目指すこと自体御法度という空気があるのだ。その空気を作ったのが、他ならぬハジメである。野球会社のトップとしてはあるまじきことといわざるをえない。というより、よく暴動が起きないもんだと思う。でも、そうならないシステム作りについては、過去何度も述べたから繰り返さない。
これでは、カープファンなんかやるのもいい面の皮だ。チームの勝利を目標とする職能集団が、来年は勝てないからよろしくと言ってきたのである。結局これは、カープには資金力に限りがあるから勝てませんと言って負け続けることにほっかむりしてきた逆指名ドラフト時代への回帰のようなものだ。要するに、「失われた二十余年」に戻りますと申し渡されたも同然である。いいのかね、カープファンの皆さんは。いいんだろうな。だって、あの記事に対して批判的な反応ないもんね。
それにしても前原淳、彼にはものを書く上での良心というものはないのかね。もともと批判力の欠片もない売文屋だとは思っていたが、あの記事には乾いた笑いしか起こらない。まあ、永遠にハジメのお筆先をやるつもりなのかな。どうでもいいけど。
人気ブログランキング広島東洋カープランキングサンフレッチェ広島ランキングにほんブログ村にほんブログ村
コメント