先日のジャイアンツ戦で、新井貴浩が泣いていた映像がテレビ中継で抜かれたと話題になっている。私はその映像に接していないのだが、それを否定する言説が出ていない以上は本当に泣いたのかもしれない。実際、カメラもそういう状況だからこそ映像で流したとも言えるのだから、きっと本当だったのだろう。もっとも、信頼できる筋からの報道がないのではあるが。
まあ私に言わせれば、新井貴浩、よく今の今までメンタルが持っていると思う。というより、普通の感性なら指揮権なんて手放してしまうだろう。なんせもがけばもがくほど泥沼に嵌まる現状。「痛みを伴う変化」なるものをぶち上げても上から下まで動かず、挙げ句の果てはエトミデート疑獄である。これが決定打になっても不思議ではない。
蓋し、あの疑獄が明るみに出て以後、明らかに新井の表情はおかしかった。2月1日からサングラスをかけて表情を崩さず、これまで見せてきた選手と一緒になって喜ぶ姿も見せない。開幕戦の勝田成のサヨナラ安打のときだけだったかもしれない。わざわざサングラスをかけていたのは、あまりの辛さに目が潤む姿を悟られたくなかったからなのではないか。
オーナーを僭称するハジメがどうたらというのは、私から見れば新井とハジメは共犯関係にあるから、同情はしない。しかし、エトミデート疑獄だけは本当にがっかりしているのではないか。もちろん、羽月隆太郎が逮捕された日に初めて知ったというのは嘘だと思うが、いずれにせよ私だったら監督責任を盾に辞任する。むしろハジメ神権帝国という共犯関係から離脱するチャンスだし。
この疑獄について付け加えることは今はないが。売人が押さえられたと言うことはそこから捜査が進展する可能性が高いと言うことである。もちろん売人は反社崩れだろうから、法廷で素直に出先をペラペラしゃべることはしないだろう。ただ、おそらくスマホの明細や口座の出入金履歴、SNSの履歴などは全て洗われるはずだ。それを突破口に、第二第三の留置施設行きが出てもおかしくない状況にあることだけは、繰り返すようだが指摘しておきたい。
現状のWEB上の言説では、新井より泣きたいのはこっちだとというレスポンスが多いようだ。しかし、敢えてベンチの最前線で涙を見せたであろうことの重大性をやはり理解せねばなるまい。きっとそれは腹を括ったとか覚悟を決めたということではないと思う。情けない、俺いったい何をやってるんだろうという寂寞感が支配しているのではないか。真のカープファンを標榜するなら、このくらい理解してあげようよね。じゃないと、本当に酷だよ。
でも、同情するのはここまで。前述のとおり、新井にはハジメと連んで今カープに一番必要な改革を先延ばしにしたという科はあるのだ。だから、のほほんと俺かわいそうだと思っぼんやりされていても困ると言うべきだ。自分だって現状のカープを作ってしまった責任者なのである。そのことだけは、指摘しておきたい。ただ単に新井に同情する気にもなれないのだ。
やはり、新井の今なすべきことは、カープがどうして今こうなったかを明らかにすることだろう。もちろん、エトミデート疑獄の全貌も話す義務がある。もちろん誰が連座してということは言えないだろうが、いつ頃からチーム内で問題となって、どんな事象が起こったかということくらいはしゃべるべきではないかと思う。そうでないと、もはや引っ込みがつかないところにいってしまうよ。
今日も広島は一日大雨で、試合どころの騒ぎではなかった。どうやらこの雨は明日朝には上がる見込みで、明日明後日は試合が行われるはずだが、どう考えても勝てる見込みがない。こちらのピッチャーがどうこうではない。何をどうとち狂ったら死んだカープのオフェンスがタイガースの先発投手を打てるという。一応映像には接することが出来るのだが、さあどうするかな。
ところで、昨日も頭出しをしたが、本日は私の57回目の誕生日である。昨年11月22日に一端途絶えかけた命だが、どうにか繋がって今ここにいる。まだまだ私はこの程度で命尽きるわけにはいかない、とにかくやりたいことはまだたくさんあるし、早く仕事をリタイアして好き放題やりたいのだ。今から行ったとて、病で早々と行ってしまった亡母と母方の祖母に叱られてしまう。
とにかく、1日1日を大事に過ごしていきたいと思う。今こうやって生かされていることに感謝して、デモいいたいことをいい、やりたいことをやっていきたい。どうせ1回しかない人生だけに、自分の好きにやらないと損だしね。私の心は、まだ1983年5月31日に姫路市内の書店で髙橋慶彦がこちらに走ってくるがごとき表紙の「月刊カープファン」に出会ったときのまま、でありたいと思っている。
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