今日は言うまでもなく冬至である。昼の長さが一番短い、太陽の高度が一番低い日であるなどというのはいまさら書くまでもないだろう。昔の人はここから状況が好転する、運気が上がる日ととらえていたようだ。ちょうど私は手術後の最初のフォローアップに当たっていて、結果は心電図も血液検査も問題なし。順調に復活しているところだ。
私も本当に今年の冬至にはまさに一陽来復を願っているところだ。自分のこともそうだし、カープはもうぐちゃぐちゃになっているし、そろそろどうにかならんかと思うことばかりである。まあ我が体調は自分の不徳のいたすところもあるのだが、カープについて言うならば私は願うことしか出来ない。問題は山ほどあるが、手を下すことが出来ない。
何もカープについては難しいことを願っているのではない。強くなってくれ、勝てるチームになってくれと願っているだけだ。問題はそうならないことというより、それを否定する向きがいると言うことだろう。ハジメはそもそもやる気がないし、指揮官はもう完全に権利能力を失っている。手兵は非力なチビばっかりだ。もはや見る気すらしないのが現状である。
それなのに、それだからいいんだというバカープファンの群れにはあきれさせられる。どこに勝てないチームを「推し活」する莫迦がいるかと思うが、現にいるんだから仕方がない。なのになんやかやと理屈を付けて自分の正しさを主張するのである。まさにあほうの群れだが、雑魚も大群で来るとやっかいなのである。平気で嘘もつくし。
そういえば、昨日行われたM-1グランプリのチャンピオンが決勝でやったネタを今朝のテレビで見た。クスリとも笑えなかった。理由は面白くないからである。なんでこんなレベルの漫才が跋扈するのか、分からない。思うに、客層が良くないのではないか。何でもかんでも笑うというか、笑いに対する耐性が低いというか、そういう客ばかりなんじゃないのかと思う。
それが証拠に、昔さるテレビで横山ホットブラザーズが出たときに、横山アキラ師匠の「顔芸」だけでどっかんどっかん笑わせていた。そりゃ理屈抜きで面白いからだともいえるのだが、くだらない笑いで笑ってしまう向きには刺激が強すぎたのだろう。こういう芸は、もはやお目にかかれないし、今ならかえってお呼びでないのかもしれない。
今の漫才は、漫才ではない。いわばシットコムの劣化版である。しゃべりもヘタクソだし掛け合いの妙もない。思うに、厳しいお客さんの目にさらされていないからかもしれない。今の芸人さんを取り巻く環境は、推し活の延長といっていい。その人がやるなら何でもいいというタイプのファンに囲まれているだけなのだろう。昔の花月や中座でこんなのかけたら笑ってくれないどころかヤジが飛んでくるだろうと思う。
そう思うと、カープを取り巻く環境と今の笑芸界はよく似ているのだろう。現状を何でも是とする向きに囲まれて、切磋琢磨もなく自己鍛錬もなく、ただひたすらMasturbationのようなものを見せつけるだけだ。そういやバカープファンは松田元を崇め、最近の笑いのファンも何かと言えば松本人志がーというから、構図もよく似ている。
まあ、松本人志は表舞台から退場させられてしまったが、ハジメが退場させられる日はまだ来そうにはない。その前に私になにかあったとしても、死ぬに死ねない。まず閻魔様にハジメを裁いてもらうのを見るのが先だ。もっとも私は以前書いたとおり割と真剣に120まで生きたいと思っているし、カープがもう一度強くなるのを見ずして死ねるかと思っている。
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コメント
日本では、笑いが“職人芸”として外注化され、日常のコミュニケーションに内在化していない文化構造がある。「笑わせるのは芸人の仕事」という分業意識が強い。結果として、一般人の日常会話にユーモアが入りにくい。
ジョークは必ず「滑る」リスクを伴う。日本では「滑る=恥」「空気を壊す=悪」とされやすい。海外で最長在留のイギリスでは、日常的に皮肉とブラックユーモアが飛び交うので、「滑るのも含めて会話の一部」。だから挑戦できる。
ユーモアは即興性と観察力が命。しかし日本の教育は「正解を言う」訓練であり、「ズレを楽しむ」訓練がない。 observational comedyなら、いつでもどこでも使える。 「セルフ・デフォルメ」を使うのも簡単でエエよ。
「笑いのハードルを下げる環境」を作ることが大切。笑いは“技術”より“場”が重要。失敗しても許される空気。軽口を歓迎する文化が定着すればいいね。
[笑う門には福来たる]
日本に笑いを増やすには、「芸人の笑い」ではなく「市民の笑い」を育てるのほうことが大切やと思うなぁ。