ここまでろくに補強もしていないカープではあるが、それなのにこれで補強は終了という報が流れた。なんでも、若手を使いたいという新井の意向であるという。ちゃんちゃらおかしい。ただでさえ二流以下の戦力しかない、特にオフェンスはショボすぎるチームであるのに、これでもう何の補強もしないというのだ。
はっきり言う。新井はカープファンの敵だ。新井のせいでカープは向こう数十年ぺんぺん草も生えない荒れ野となってしまうだろう。いや、これは正確ではない。新井は所詮ハジメの操り人形であるというべきだ。さすがは「諸国民の王」である。あるいはボナパルティズムを体現しているといえばいいか。ちびの伍長と違って図体だけはでかいが。
これはすべて、ハジメのカープ弱体化計画の一環であるというのが正当だろう。そもそもは3連覇の時から始まった。それをよしとしないハジメは、次々とオフェンスの主軸選手を放出したのである。それを糊塗するための合言葉こそ「投手を中心に守り勝つ野球」「伝統の機動力野球」である。長くカープファンやってる者から見たらとんだ嘘っぱちなのだが、これを信じ込んでいる向きが多いことには驚かされる。
ところが、佐々岡というのがとんでもない盆暗で、予想以上にカープの弱体化を進めたのが唯一の誤算だった。心あるカープファンの怒りに火がつきかけた。それをごまかすために指揮官に擬せられたのが新井である。だから私は一貫して「諸国民の王」、すなわちルイ・フィリップのようなものと言ってきたのである。所詮はハジメの傀儡、少しでも何かを変えているように見せるためのギミックでしかないのだ。
だから、この現状こそハジメにとっては望むところなのである。チームの強化なんてくそくらえ、優勝日本一なんてとんでもないと思っているのだ。ハジメにとっては一にも二にも私腹を肥やすことが全てであって、アホなカープファンが金を落としてくれるための作戦を手を替え品を替え練っているだけなのだ。
向こうがそう来るなら、もはやこちらの取りうる手はひとつ、Resistanceしかない。とはいえハジメをとっ捕まえて首を落とすことなど出来ようがない。ならば、真綿で締め上げるしかない。今後一切カープには金を落とさない。落としたところでハジメの懐に入るだけなのであれば、落とす価値すらないではないか。もちろん、スタジアムに行くなんてもってのほかだ。
というより、今のカープ、何を見に行けばいいというのだろか。誠実な仕事をするのは小園くらいだろう。特にオフェンスなど見る価値なし、映す価値なしのオンパレードではないか。だから矢野たら羽月たら大盛たらなんていうのがいかにも仕事しているように見えてしまうのである。以前食ってかかってきたのに、こいつらがショボかったらカープの選手全員ショボいことになるではないかといったのがいたが、私は一貫してそう言っている。これだから脊髄反射でしか考えられないのは困るのだ。
幸か不幸か、そういう岩盤支持層の数は少ない。それは今シーズンガラガラだったパフォーマンスシートを見れば分かる。カープファンの多くはライトなファン、カープの勝利を見に来ているファンなのだ。そういう向きは早晩離れる。いや、もう離れきっている。それに気がついていないバカープファンはおめでたいものだ。
そういう向きを飼い慣らして手兵にし、心あるファンを攻撃させているのがハジメなのである。しかし、彼らは決定的に頭が悪いから、明後日の方向に切りつけることしか出来ない。だから痛くもかゆくもない。莫迦に莫迦を足しても莫迦ばかり、莫迦から莫迦を引いても薄ら莫迦。我々の敵ではないのだ。
それに、彼らは自分たちに対する最大の敵を分かっていない。それはなにか、Neglectである。ライトなファンが離れ、カープに無関心になったときに、カープのraison d’êtreは消える。今の広島はそうなりつつある。在広プレスがどんなにカープを担ごうとも、その中身に魅力がないものだから誰も振り向かない。まあ、在広プレスも莫迦ばっかりだから持ち上げ方がヘタクソなのだが。
奇しくも、歳末恒例の今年の漢字は「熊」だという。広島もやがて「鯉」から「熊」の街になるかもしれない。いや、もうそうなりつつある。焦っているハジメは一生懸命「蜻蛉」に肩入れしているが、蜻蛉が鯉を見放して熊と組んだとき、鯉は息の根を断たれて干上がる。そこに相も変わらず球界の縮小均衡を目論む向きが忍び寄ったとき、鯉が広島から消えるときが来る。まあ私は一宿一飯の恩義があるから、死に水くらいは取りたいと思うが、蘇生手術をしてやる筋合いはない。
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