午後11時のモノローグ その150

スポーツ

この週末で、娑婆に解き放たれてから1週間、ということは救急搬送されてから2週間経ったことになる。最初はどうにかなると思っていたのだが、実際はもう一手遅かったらまだ今頃病院か、下手したら命が切れていたかもしれなかったらしい。そう思うと、今生きていることだけでよしとしなければなるまい。その後食事も減塩のものに徹底させられて、量も減らされているのだが、逆に食べることの楽しみと喜びを感じさせられている次第である。

幸いに入院中の回復がよかったこともあって、結構暇もあったのだが、正直何もできなかった。やはり体力と気力が万全でないと頭の中も万全にならないことがよく分かった。ほんとうに心技体とはよく言ったものである。じゃあなにをやっていたかと言われたら、ただそこにいただけというのが正直なところである。減塩病院食ですら、楽しみになっていたから恐ろしいものである。

先週から業務にも復帰したのであるが、デスクワークだから大丈夫と思いきや、なかなか思うように体が動かないし、気力も乗らない。不調を起こした場所が場所だからということもあるのだろうが、やはりこれも体が思うように動かないからというところがあるに違いない。切り傷ならもう一回切れても大丈夫だが、さすがに心臓はもう一度やったらまずいというのが先に立っているに違いない。

以前も書いたが、私はアスリートやアーティストには尊敬の念を持ってみている。1年365日全てに心技体が万全であることなんてないだろう。それでも100パーセントのパフォーマンスを見せることが要求されるのである。私には出来ない。体が思うように動かない日や声が出ない日だってあるに違いない。それを気づかせてはいけないのである。私の稼業なら休めば仕舞いだが、彼らは代役がきかないのである。

レギュラープレイヤーなんて特にそうで、出番に穴を空けることはできない。休むのは簡単だが、休んだ間に出たのが活躍したらそれはすなわち自分の機会喪失を意味するのだ。休まないことも立派なプロフェッショナルの仕事なのである。それだけにキヌさんやコージさん(彼もめったなことでは休まなかった)は偉大としかいえない。

そういう意味では、休んでも代わりがきく我々の稼業は気楽なものだ。しかし、それ故に自分しか出来ない仕事を残したいという思いにも駆られるのである。それはなかなか難しいのだが、やろうと思えばやれなくはない。それを探すのが、五分の魂の矜恃でもある。

残念ながら、今のカープにはそういうものが見られないのが残念だ、レギュラーを摑んだというよりはレギュラーにしてもらったという趣の選手が多いし、必死に食らいついている選手なんていないのではないか。だから弱いんだといわざるを得ない。もちろん一生懸命やっていないわけはないだろう。ただ、命がけの一生懸命さが見えないのである。

これまでも同じようなことはずっと書いてきたが、自分の命が尽きる危険にさらされたことに気づいて、改めて強く感じた。やりたいことは今のうちにやらねばならないし、言いたいことは言えるうちに言っておかねばならないと。与えられた時間は有限だし、不老長寿など持ち得ないのであるから。

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